歴史

【韓国歴史】 「教科書に載るくらい価値あり」 日本列島に残された私たちの先祖「朝鮮人被虜」の跡…新刊『400年の長い道』

1: LingLing ★ : 2022/05/19(木) 23:50:16.89 _USER
[新刊]400年の長い道
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著者:ユン・ダルセ
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訳者:ナカムラエミコ
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著者:ユン・ダルセ/訳者:ナカムラエミコ-図書出版、幸福エナジー

出版社書評

日本列島に残された私たちの先祖たちの跡

近くて遠い隣国の日本は、遠い昔から我が国と切っても切れない関係を持ってきた。

ある時は好意的だったが、ある時は戦争による傷痕を残して、その渦中で多くの文化遺産が渡ったりもした。そして、今もその痕跡は長い時間を超えて保存されている。

訳者は初めて本書を読んで、「これは韓国の人の歴史だ。韓国語に翻訳されていないのがおかしい」、「教科書に載るくらいの価値があって、面白い内容なのに、知らないと損する」という思いがあったという。

本書は、400年前の壬辰倭乱(1592年)当時、朝鮮各地域から日本に数多くの朝鮮の人が強制的に捕えられた歴史から出発する。「被虜人」と呼ばれるその朝鮮の人に関するあまりない痕跡を1980年代から現地調査した人が、ユン・ダルセ先生であって、その調査された資料を記録した本が2003年、日本で出版された『400年の長い道』だ。

この本は、日本各地で苦しみながらも希望を失わず、むしろ日本社会で一筋の光になった朝鮮の人たちの驚くべき生活の痕跡を詳細に扱う。

壬辰倭乱のために捕まった罪のない数多くの朝鮮人たち。彼ら被虜人たちが異国である日本の地で、ただ郷愁だけを抱いてぼんやり歳月だけを送ったのではない。予期せぬ困難の中、あちこちに振り回されながらも、その場所に定着して、日本の経済・文化・社会の発展に寄与したという知られていない歴史的事実が存在する。日本国内の多くの分野に貢献した彼らの足跡を追ってみたら、日本という国を見る目が変わるだろう。日本が単に原住民だけで構成される国ではなく、韓半島と緊密な関係を持ちながら、時期別に数多くの移住が反復的に成された国だということを知ることになる。

私たちが日本らしいと感じる日本城郭の瓦も、壬辰倭乱の時に捕えられた朝鮮瓦工の技術だったという非常に興味深い内容がこの本の中に含まれている。当時、連れて行かれた朝鮮人の後孫は、今も日本でシルトック(※蒸し餅)を作って祭祀を行って分け食べたり、どんぐりの実を集めてムクを炊いて食べるという。今でも、韓国式チプシン(※わらじ)、荷運びに使うチゲ、昔ながらのキムチなどが日本の隅々に残っている。 彼らは朝鮮の生活の一部を日本に持って行き、この本は朝鮮の人の生活史をよく描写している。

更に、400年も過ぎたのにその痕跡が日本に残っているというのは、私たち朝鮮の人の強靭な生活力と疲れていた日本生活に自ずから頭が下がる。壬辰倭乱当時、多くの朝鮮の人たちが故郷を離れて無理に連れて行かれてしまった人生を生きなければならなかったことは、私たちの痛い歴史だ。 最も近い国・日本、韓国は歴史から何を学ぶべきか。答えはないが、日本で生き残った朝鮮の人はどんな人たちだったのか想像することだけでも、この本には十分な価値がある。日本の隅々に残された人々の痕跡を探してみよう。

ソン・ヘチョル

仏教空ニュース(韓国語)
http://www.bzeronews.com/news/articleView.html?idxno=517961

関連スレ
【社会】「乃木大将祖先は朝鮮人」 強制連行の歴史等を一冊に…在日韓国人2世★2
https://news5.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1071633889/
【国内】韓国・蔚山の技術で作られた熊本城で日韓友情コンサート[10/25]
https://news21.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1193278289/

引用元: http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1652971816/

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【韓国歴史】 「任那日本府説」 倭が4世紀中頃に伽耶地域を軍事的に征伐…話にもならない学説だ

1: LingLing ★ : 2022/05/11(水) 19:43:25.81 _USER
[ペ・ジョンドクの歴史紀行]「任那日本府説」

任那日本府説は、倭が4世紀中頃に伽耶地域を軍事的に征伐して「任那日本府」という統治機関を設置して、6世紀中頃まで韓半島南部を運営したという話にもならない学説だ。

その始まりはシンゴン(神功、ジングウ)皇后だったという。そして、『日本書紀』に出てくる神功皇后は3世紀の人物だ。神功皇后の頃には、合間に韓地百済の王歴を挟み入れた。次は『日本書紀』『神功皇后記』に出てくる百済の王歴と『三国史記』に出てくる百済の王歴を比較したものである。

『日本書紀』神功55年(CE255)百済のチョゴ(肖古)王が死んだ。 / 『三国史記』クンチョゴワン(近肖古王):CE375年王が死んだ。

『日本書紀』神功56年(CE256)百済の王子キス(貴須)が王位についた。 / 『三国史記』クングスワン(近仇首王):CE375年王位についた。

『日本書紀』神功64年(CE264)百済の貴須王が死んだ。王子枕流が王位についた.。/ 『三国史記』チムリュワン(枕流王):CE384年に即位した。

『日本書紀』神功65年(CE265)百済チムリュワン(枕流王)が死んだ。叔父の辰斯が王位を奪って王になった。 / 『三国史記』チンサワン(辰斯王):枕流王の弟で、枕流王が死んだ時、太子が幼かったので叔父の辰斯が王位についた。(CE385年)

百済の肖古王(在位CE165~214)と近肖古王(在位CE346~375)は全く別の人物だ。王子貴須(在位CE214~234)と近仇首王(在位CE375~384)も別の人物だ。枕流王(CE384)が即位したが、1年後に死んで、弟の辰斯王(在位CE385~392)が即位した事実だけが一致する。これも『日本書紀』と『三国史記』の該当年度は120年の差異がある。

日本の学者たちは、肖古王と近肖古王、王子貴須と近仇首王を同様の人物と断定する。ここには何ら適当な根拠もない。名前が似ているから、同じ人物とみなすべきということだ。そして、神功皇后の頃に起こった出来事を、どれも120年ずつ遅らせて適用しなければならないと主張する。いわゆる「120年二周甲説」の適用だ。

なぜなら、二周甲説を適用してこそ、4世紀中頃から始まったという任那日本府説を取り付けられる根拠を都合することが出来るからだ。日本の学者たちは、この120年二周甲説の適用を主張して、CE369年からCE562年までの約200年間、倭が韓半島南部地域を支配したという「任那日本府説」を連結している。

広開土太王碑文の記録から、広開土太王が日本列島を焦土化した時期がCE396年とCE400年だ。また、宋書に出てくる記録を見れば、倭5王が宋国に使臣を送った時期がCE421~479年だ。この時は倭国に百済のタムロ(檐魯)があった時期であって、倭5王は百済の主タムロの王たちだった。広開土太王の日本列島侵攻時期と倭国五王の宋国朝貢記録などを見ると、CE369年から約200年間の「任那日本府説」は、いくら結びつけようとしてもできない事件だ。

このようなことを勘案すれば、神功皇后の頃から120年二周甲説を適用するのは時期的に合わない。仮に、神功皇后が実際の人物だったとすれば、CE201~268年の期間中に大和倭朝廷が九州にいた百済分局のクダラと力を合わせて、九州にいたまた他の韓人たちの分局と戦争を行った記録と見るべきだ。

日本の学者たちが主張してきた「120年二周甲」説の適用は全て適用できるものでもない。第21代雄略の代に至っては、年度の差異なく元に戻っている。日本の学者たちは「任那日本府説」を主張するために、神功皇后の年代を120年遅らせるべきだと張したが、120年遅らせてみても、広開土大王の日本列島侵攻時期と宋書に出てくる倭5王の朝貢記録は、任那日本府説と時期的に合わないのだ。

ペ・ジョンドク歴史コラムニスト

蔚山第一日報
http://www.ujeil.com/news/articleView.html?idxno=303426

引用元: http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1652265805/

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【ハンギョレ】日本の右翼の「歴史挑発」を煽った「サンフランシスコ体制」

1: Ikh ★ : 2022/04/30(土) 09:43:36.59 _USER
サンフランシスコ条約発効70周年を迎え 体制の成立・展開・帰結を総体的に分析  戦犯国日本、米国の「冷戦と反共のパートナー」に 「東アジアの領土紛争も米国が意図した」

 『サンフランシスコ体制を越えて-東アジアの冷戦と植民地・戦争犯罪の清算』 
キム・ヨンホ他 著|メディチメディア刊|3万8000ウォン
 今年は戦後の東アジアの国際秩序を規定した「サンフランシスコ体制」が構築されて70年になる年だ。サンフランシスコ体制とは、第2次世界大戦の戦犯国である日本が米国をはじめとする戦勝国と「サンフランシスコ講和条約」を締結したことによって成立した体制をいう。同条約は1951年9月に48カ国が署名し、翌年4月に発効した。本書『サンフランシスコ体制を越えて』は、サンフランシスコ条約自体に内包された問題と、サンフランシスコ体制が起こした問題を一つひとつ明らかにする論文集だ。東北アジア平和センター(キム・ヨンホ所長)が中心となり、2016年から2019年まで4回開かれた国際会議で発表された論文と、この企画に合わせて書き下ろした論文をまとめた。サンフランシスコ体制の成立とその体制が東アジア秩序に与えた影響、そして東アジアの市民社会の対応と関連して、すべて重要な争点を盛り込んだ論文だ。論文執筆者として、韓国(キム・ヨンホ、チョン・ビョンジュン、イ・テジン、イ・ジョンウォン、イ・ジャンヒ、カン・ビョングン、キム・ソンウォン、オ・シジン、キム・チャンロク、ペク・テウン、ノ・ジョンホ)、日本(和田春樹、原貴美恵)、中国(徐勇、胡徳坤、石源華)、米国(チャールズ・アームストロング、アレクシス・ダデン)、オーストラリア(ガバン・マコーマック)など学者25人が参加した。サンフランシスコ体制の問題点を指摘する論文はこれまでもあったが、この体制の成立と展開、帰結を総体的に追求し論じた著作は同書が初めて。

 サンフランシスコ講和条約は、最終締結まで6年という長い時間がかかった条約だ。著者のキム・ヨンホ氏は、同条約が締結されるまで日本に対する米国の態度が3段階を経て変わったと述べる。第1段階(1945~1947)では戦犯国である日本を解体することに重点を置いたが、第2段階(1948~1949)で米ソ冷戦体制に入ると、ソ連を排除し日本と単独講和を結ぶ方向に転じた。続いて第3段階(1950~1951)では中国本土に社会主義体制が樹立され、朝鮮戦争が勃発すると、日本を冷戦と反共の最前線に立つパートナーにした。日本は最大戦犯国の地位から脱し、米国の東アジア戦略の最大同盟国となった。こうして戦争犯罪者の大多数が免罪符を受け、戦後の日本再建の主役となった。

 サンフランシスコ条約締結の過程で浮かび上がった問題はこれだけではない。注目すべきは、日本の侵略と支配で最も大きな被害を受けた韓国と中国が、同条約を締結する当事者として参加できなかったという事実だ。韓国は南北が分断されており、韓国が参加する場合は北朝鮮も参加しうるという理由で排除され、台湾と本土に分かれた中国も、代表性に問題があるという理由で除外された。日本の侵略による一番の被害国が、条約の主役になれなかったのだ。にもかかわらず、このように成立したサンフランシスコ体制は、東アジア秩序を規律する枠組みとなり、韓国を束縛した。例えば、1965年の韓日国交正常化の際の「請求権協定」は、サンフランシスコ条約に基づいて結ばれた。その後、日本は請求権協定の文言を口実に、日本による植民地時代の韓国人被害者に対する賠償責任がないと主張している。韓国が参加もできなかった条約が、韓国の足を引っ張っているかたちだ。

※続きは元ソースで御覧ください

コ・ミョンソプ先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

Yahoo!Japanニュース/ハンギョレ 4/30(土) 7:49配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e6c83e5d1a45766d6f3fbcff7fd251ae68a71c57

引用元: http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1651279416/

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【韓国】 「伽耶史論争」 任那日本府説…もはや廃棄された状態

1: LingLing ★ : 2022/04/24(日) 23:59:45.28 _USER
伽耶史論争

紀元前後から562年まで存続した伽耶の実態は今でも解明されていない。伽耶史研究の最も大きな問題は史料が貧弱だという点だ。三国遺事の駕洛國記が韓国内の史書としては唯一で、伽耶について手短に言及するだけだ。また、日本の日本書記と中国の梁職貢図に伽耶が登場する。しかし、日本書紀は歪曲された記事まみれで信頼し難くて、梁職貢図もまた中国側の断片的な記録が続いて史書として価値は落ちる。

伽耶史は記録よりはむしろ考古学的遺物が豊富で、研究に進展が見られる。今日では、慶尚南道(キョンサンナムド)や慶尚北道(キョンサンプクド)、全羅北道(チョルラプクド)、全羅南道(チョルラナムド)などから、伽耶の遺物の数々が出土されている。伽耶が残した古墳群は非常に貴重な遺物である。およそ780ヵ所に達する。これを土台として伽耶の領域が洛東江(ナクトンガン)と蟾津江(ソムジンガン)を併せるというのが学界の立場だ。

この伽耶の古墳群がユネスコ世界遺産に登載されるかどうかが今年6月、ロシアのカザンで開かれる世界遺産委員会で決定される。2013年から9年間、たゆまず努力を注いできた結果、暫定リスト登載、世界遺産登載申請対象の選定、登載申請書の完成度の検討など手順を通過して、最終決定だけを残しているのだ。代表的な古墳群である慶尚南道5ヵ所、慶尚北道1ヵ所、全羅北道1ヵ所が候補地だ。全羅北道からは、南原(ナムウォン)の酉谷里(ユゴクリ)と斗楽里(トゥラクリ)古墳群が含まれた。もし、伽耶古墳群がユネスコ世界遺産になれば、韓国内では16番目の世界遺産が誕生するわけだ。

ところが、この過程で問題が生じた。まさに日本学界が主張する任那日本府の是非だ。 「植民史観で歪曲された伽耶史を正す全国連帯」は今年2月、世界遺産登載の推進保留と、推進団が発刊した「伽耶古墳群研究叢書」の廃棄を要求した。彼らが問題にするのは、陜川・多羅國と南原・キムン國の名称だ。これらの名称は「三国遺事」には登場せず、日本書紀や梁職貢図にのみ登場する。したがって、これを認めれば、古代から韓国が日本植民地だったという日本側の強引な主張を認める格好だと指摘した。

もちろん推進団は任那日本府の関連を強く否定した。ただ、専門家らの発掘結果、陜川(ハプチョン)と南原(ナムウォン)の古墳群から伽耶遺物が出て、この名前を取り入れたという立場だ。

任那日本府説は、日帝が我が国を強占する名分の一つとして利用した捏造された主張だ。この論理は我が国の学界の反論などで、もはや廃棄されている状態だ。日本国内ですら、過去に日本が韓半島を支配したと話す人はいないという。実際、2022年の日本社会科教科書でも関連叙述が7種のうち3種外れているという。だから、枝葉的なことにあまりこだわる必要はないと見る。伽耶古墳群が世界遺産に登載されること自体が、我が国の歴史文化に対する高い評価だと考える。

ソース 全羅日報(韓国語)
http://www.jeollailbo.com/news/articleView.html?idxno=655203

【韓国】 金官伽耶の古墳から大量の日本製矢尻発見…研究者「伽耶と日本の交易が活発だった証拠」[06/10] [蚯蚓φ★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1591885196/
【世界遺産】 「日本書紀を根拠とする伽耶古墳群のユネスコ登録申請は売国行為、やめて」大統領府に請願[09/07] [蚯蚓φ★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1631024005/
【朝鮮日報】伽耶の墓と発表したのに遺物はなぜ新羅のものなのか[11/1] [右大臣・大ちゃん之弼★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1604180438/

引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1650812385/

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【中央日報】16世紀に日本の経済力と軍事力は歴史上初めて韓半島国家を追い越し、その結果が壬辰倭乱に表れた

1: 昆虫図鑑 ★ : 2022/04/08(金) 16:55:15.10 _USER
韓国人なら日本を特別に憎んだり嫌ったりする人でなくても、日本を少し見下げる傾向がある。長く大陸の先進文明を島国に伝授した半島国の立場で、16世紀末と19世紀末の侵略は、普遍的な国際道義以前に生意気で恩を仇で返すものと感じられる。

しかし半島と島の地政学的な優劣関係は不変の原理でない。状況の変化によって変わる。金属文明の初期段階で満州と韓半島の間にも逆転があった。

「金属器文明が大陸から初めて伝播した時期には、大陸に近い位置の満州が当然、韓半島より先進地域だった。古朝鮮の首都の南下、扶余から高句麗の派生、高句麗から百済の派生がすべて先進文明の南進現象を見せる状況だ。(...)ところが紀元前3世紀以降、中国方面から鉄器による集約的農業文明が本格的に伝播し、文明の北高南低状況は徐々に変わり始めた。温暖な気候の韓半島がその段階の農業文明の定着にさらに有利な条件だったからだ」 (キム・ギヒョプの『外から見た韓国史』34ページ)。

満州と日本に対する韓半島の経済的・文化的優位は1000年間ほど続いたが、13世紀後半のモンゴル征服をきっかけに変化が始まった。未開状態だった日本の社会が多様な変化を起こし、15-16世紀の戦国時代を経て徳川の統一にいたった。16世紀に日本の経済力と軍事力は歴史上初めて韓半島国家を追い越し、その結果が壬辰倭乱に表れた。


https://news.yahoo.co.jp/articles/6c59b5a7fc85a489ae35df0f1d3bc5879b5c63ea

引用元: http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1649404515/

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