歴史

【吉田松陰】日本のゲーム会社、「朝鮮武力征服」主唱した右翼思想家美化で議論

1: 昆虫図鑑 ★ : 2024/02/13(火) 16:51:45.53
幕末を舞台にしたゲームを作っている日本のゲーム会社関係者が朝鮮侵略論である「征韓論」を主張した19世紀の思想家を美化する発言により韓国国内で議論が起きている。

ゲーム業界によると、日本のゲーム会社チームニンジャで、『RISE OF THE RONIN』の製作総括を務めた安田文彦ディレクターは最近公開された開発後日談の動画で日本の近代思想家の吉田松陰に言及した。

彼は「日本ではソクラテスに匹敵する人物だと思う。彼の生きざまだったり残した言葉だったりというものを『RISE OF THE RONIN』の中で描きたい」と称賛した。

江戸幕府末期の思想家である吉田松陰は19世紀中盤に明治維新を率いた武士の精神的支柱役割をした人物だ。朝鮮を武力で征服しようという征韓論などを展開し日本の右翼思想のルーツになったという評価を受ける。

同作品は明治維新直前である19世紀末の日本を背景とするオープンワールドアクションアドベンチャーゲームで、3月にソニーのプレイステーションプラットフォームを通じた発売を控えている。

ソニーインタラクティブエンターテインメント(SIE)は昨年12月に同作品の予約を開始し、韓国国内での発売に向けゲーム物管理委員会から等級分類を受けた。

しかし問題の動画が公開されてから韓国のオンラインコミュニティでは「日本の極右勢力の元祖と扱われる人物を公式動画で美化するのは度を越えている」との批判があふれた。

現在PSストアでは韓国のアカウントで同作品の予約購入はできない状況だ。ただこれは韓国で正式発売されていないゲームに適用される一般的な措置というのがSIEの説明だ。

同社韓国法人はゲーム発売の可否などと関連し「事実関係を確認中」と明らかにした。

https://news.yahoo.co.jp/articles/a732c7a6db01ff27586f6a947316455489ec5226

引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1707810705/

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【韓屋】 140年前のソウルの家…米議会図書館所蔵の未公開写真大放出

1: 仮面ウニダー ★ : 2024/02/13(火) 06:46:32.59
中央日報/中央日報日本語版2024.02.12 16:12

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米国の旅行作家カーペンター氏が撮影した1911年以前のソウルの家 [写真 ソウル歴史博物館]
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米国の外交官ジョージ・C・フォークが見たソウル/写真は崇礼門(スンレムン、南大門)と城壁外側の民家 
[写真 ソウル歴史博物館]
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米日刊紙が見た1900年代初めのソウル/写真は1945年のモスクワ会議で決定した韓国5年間信託統治に反対するデモ。
曹渓寺(チョゲサ)近隣から旧朝鮮総督府に向かって行進している。 [写真 ソウル歴史博物館]

大韓民国国宝1号・崇礼門(スンネムン、南大門)の140年前の姿はどうだったのか。
日帝強占期の道路拡張を理由に崇礼門一帯が取り壊される前、周囲には民家が密集していた。
鍾路(チョンノ)3街から昌徳宮(チャンドックン)につながる敦化門路にも韓屋が並んでいて、
両班(ヤンバン)を避けて庶民が通行するピマッコル(避馬道)もあった。

#【写真】村上天紅、朝鮮総督府がみたソウル
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鍾路(チョンノ)3街から昌徳宮(チャンドックン)につながる敦化門路(ドンファムンロ)一帯。
大通りの右側にピマッコル(避馬道)が見える。[写真 ソウル歴史博物館]

ソウル歴史博物館は米ワシントン議会図書館の写真・版画分科を初めて調査し、
ソウルの過去の姿が入った写真163点を公開すると12日、明らかにした。
2020年から進行された米国所在のソウル学資料調査の3回目の結果で、
学術叢書19『米国議会図書館所蔵ソウル写真:4つの視線』としても発刊された。

米国外交官、旅行ジャーナリスト、朝鮮総督府、米メディアの4つの視線で見たソウルの姿で、
朝鮮末期から1960年代までの姿が写っている。
特に解放直後に米国が日本で入手した朝鮮総督府文書で、ソウルで写真館を運営した村上天紅らが撮影した写真が最初に公開される。
まだ議会図書館で登録もされていない未公開写真だ。
ソウル歴史博物館側は朝鮮総督府が植民支配のために調査した多様な脈絡を把握できる写真であり研究価値が高いと明らかにした。

◇米国の外交官ジョージ・C・フォークが見たソウル
米国外交官ジョージ・クレイトン・フォークが赴任した時期(1884-85年)に撮影した写真も公開される。
フォークは高宗(コジョン)の近代化事業の顧問をした。崇礼門の写真の場合、現存する崇礼門の写真のうち最も古い写真だ。

◇米日刊紙が見た1900年代初めのソウル
米ニューヨークで発行された日刊紙「ニューヨークワールドジャーナルトリビューン」が
1920年代から廃刊となる67年まで撮影した写真およそ100万枚を議会図書館に寄贈したもので、すべて未公開写真。

https://japanese.joins.com/JArticle/314916

引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1707774392/

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【中央日報】 韓国の矗石楼と日本の金閣寺

1: 仮面ウニダー ★ : 2024/01/07(日) 07:10:59.81
https://news.yahoo.co.jp/articles/16ce883cf03ce0006c52616bc317aaaaa9469297/images/000

日本、その中でも歴史都市と呼ばれる京都を初めて訪問した外国人観光客なら必ず行く必須コースがある。
世界文化遺産に登録された金閣寺だ。

最近密陽(ミリャン)の嶺南楼(ヨンナムル)が国宝に再指定されたという知らせを聞いた時、
何の関連もなさそうにみえるこの「金閣寺」と晋州(チンジュ)の矗石楼(チョクソンヌ)が重なって思い出された。
各種資料を探してみるとこの2つの建築物が同時に思い起こされた理由があった。
ほぼ同時期に焼失して再建されたが一方(金閣寺)は「金の器」のように大事に扱われているが、
国宝だった矗石楼は冷遇されている点だ。

手荒に要約すれば1397年に建築された金閣寺は1950年に放火によりほとんどが焼失した。
当時この寺が放火されたというニュースは日本社会に衝撃を投げかけた。火を付けた見習い僧侶が「世間を騒がせたかった」
と犯行動機を明らかにしてだ。注目すべき点はその後の復元過程だ。
骨組みだけ残った金閣寺は5年後に1次復元されたが、急いで復元したため所々金箔がはがれ「金閣」ではなく
「黒閣」と揶揄されたりもした。しかしその後の2次・3次復元工事を経て1999年に現在の金閣寺として再誕生した。
焼失から50年目になる年だ。

これに対し平壌(ピョンヤン)の浮碧楼(プビョンヌ)、嶺南楼とともに朝鮮時代3大名楼と指折り数えられた晋州の矗石楼は
韓国戦争(朝鮮戦争)当時の爆撃で全焼した後に再建された。だがまだ失われた価値を取り戻せずにいる。
1960年に再建された当時だけでも当時の李承晩(イ・スンマン)大統領が訪問するほど全国的な注目を集めたが、
1956年に国宝から解除されてからまだその地位を回復できずにいる。

1983年に文化財指定審議が行われたが、文化財の中で最も下位等級に当たる慶尚南道文化財資料第8号にとどまった。
その後2004年と2014年の2回、国宝還元大市民運動が展開されたが大きな成果を出せず、2020年に
慶尚南道有形文化財第666号に指定されたのがすべてだ。
さまざまな理由があるが「建築年代が短く再建築で原形と変わった」ということがこうした扱いを受ける最も大きい理由という。

だが金閣寺が燃えてからこれを再建するために日本社会がどんな努力を傾けたのか少しだけ調べれば
矗石楼が国宝に復活しなかった最大の理由がどこにあるのか見つけるのは難しいことではない。

矗石楼は全焼し完璧な原形で保存されたものではないが、矗石楼は高麗の高宗(コジョン)時代である1241年に創建されてから
事実上1000年近く奇跡的に生き残った韓国楼閣建築の象徴だ。
また、晋州大捷と論介(ノンゲ)、金時敏(キム・シミン)将軍などで代弁される矗石楼の歴史性と象徴性は
火災にも消えることのない不変の価値だ。
それだけでも晋州矗石楼を国宝に昇格しようという声に耳を傾けなければならない理由は十分だ。

ウィ・ソンウク/釜山総局長
1/3(水) 11:56配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/16ce883cf03ce0006c52616bc317aaaaa9469297

引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1704579059/

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【ハンギョレ】 128年前の東学農民軍虐殺…日本の老学者は謝罪碑の前に立った

1: 仮面ウニダー ★ : 2023/11/01(水) 07:42:28.35
羅州謝罪碑建設推進委共同代表、井上勝生教授
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 日本の老学者は壇の向きを変えた。そして「東学農民軍犠牲者を追悼する謝罪の碑」(謝罪碑)の碑文を読み上げていった。
謝罪碑には「羅州(ナジュ)で犠牲になった東学農民軍を記憶に留めるため、
日本市民が先に謝罪の気持ちを込めた寄付金を自発的に集めた。韓国市民と羅州市の協力で碑を建てることになった」と書かれていた。
東学農民軍の虐殺を謝罪する内容が書かれた謝罪碑が建てられたのは、羅州虐殺が起きてから128年後のことだ。

 羅州謝罪碑建立推進委員会日本側共同代表の井上勝生北海道大学名誉教授(78)は10月30日、
全羅南道羅州の歴史公園で開かれた謝罪碑除幕式で、
「東学農民軍犠牲者と韓国のすべての方々に日本人として、出席している日本人踏査団一行と共に、心から追悼し謝罪する」と語った。
韓日両国の市民が義援金3千万ウォン(約335万円)余りを集め、羅州市は敷地を提供した。
謝罪碑は、日本による植民地時代、朝鮮の女学生に対する日本人学生の嫌がらせに抗議したことで
のちの羅州学生独立運動のきっかけとなった旧羅州駅舎から100メートルほど離れたところに建てられている。

 井上教授は同日、除幕式の挨拶で、日本軍討伐大隊のソウルへの出軍、各地の討伐戦闘、東学農民軍の強力な戦闘、
日本軍作戦の長期化と討伐地域の拡大、日本軍の羅州進入、長興(チャンフン)戦闘など、東学農民軍の抗戦、羅州での長期駐留、
殲滅作戦が激化、東学農民軍の大量処刑という歴史を簡潔かつ正確に説明した。

 井上教授は「碑の名称が謝罪碑に変わったので、謝罪を前提に歴史的事実を認めなければならないと考えた」とし、
「全羅南道における日本軍の討伐作戦はあまり知られていないが、後備歩兵による討伐作戦が行われた90日のうち、
35日間にわたり羅州に駐屯していた」と語った。

 井上教授は、日本軍が東学農民革命当時、朝鮮に渡って農民軍を虐殺したという事実を明らかにした学者だ。
1995年、北海道大学文学部人類学教室の標本倉庫の本棚の上に置かれていた頭骨を発見した。
頭骨の中のメモには「韓国東学党首魁」と書かれており、「1894年、朝鮮南西部の珍島で蜂起した東学農民軍の指導者の遺骨であり、
1906年に採集した」という内容が添えられていた。
井上教授は、北海道大学で研究中だった円光大学のパク・メンス名誉教授とともに、日本防衛研究所に所蔵された文書を調べ、
東学農民軍討伐部隊の日本軍後備歩兵第19大隊長の南小四郎の名前を見つけた。
教授は「電話をかける度に、高齢であることを理由に、南(大隊長)の子孫に自宅訪問を断れたが、
定年を迎える数日前にようやく訪問しても良いと言われた」と当時を振り返った。

 南大隊長が書いた「東学党征討経歴書」は1895年に作成されたもので、日本軍命令の発令、部隊の移動、
司令部からの電報などの内容が簡明に綴られている。
井上教授は「『東学党征討経歴書』を初めて見た時、感動した。子孫が南と書かれた軍用気箱を持ってきた時のことは、
今でも鮮明に覚えている。歴史研究者としての役割を果たしたと思えるほどだった」と語った。

30日の除幕式で謝罪碑の碑文を読み上げ 
日本軍の農民軍虐殺を簡明に説明 
「日本軍の大量処刑の事実を認めるべき」 
 
1895年の討伐軍の記録を探して虐殺を明らかに 
「全南地域の戦闘詳報だけが見つかっていない 
今後、全南戦闘について検証が必要」
ー後略ー

全文はソースから
登録:2023-11-01 06:25 修正:2023-11-01 07:15
https://japan.hani.co.kr/arti/politics/48245.html

※関連記事
韓日市民が力を合わせて「東学農民軍犠牲謝罪碑」を建立
https://japan.hani.co.kr/arti/politics/48233.html

引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1698792148/

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韓国政府が1億円支援した展示会に「朝鮮蔑視」…日帝の視線が加わる

1: 仮面ウニダー ★ : 2023/10/19(木) 12:49:20.93
ベルリンのフンボルトフォーラム特別展、女性写真の説明に誤り 「朝鮮王朝、息子だけが相続…胸を見せて息子の誕生を暗示」 
日本人が意図的に撮影したスタジオ写真の可能性
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 韓国政府が約10億ウォン(約1億1000万円)に達する予算を支援したドイツ・ベルリンの有名博物館の
韓国特別展に展示された一部の写真の説明に誤りが含まれていることが明らかになった。
特に、日本人が朝鮮女性を撮影した「演出写真」が、ドイツ人が実際に撮影した写真であるかのように展示されており、
日本の「帝国主義的な」視線が投影された姿が朝鮮王朝の現実だとする誤解を呼び起こす可能性が強いとみられる。

 ベルリンのフンボルトフォーラムにあるベルリン国立アジア美術館と民俗学博物館は、12日(現地時間)から
展示会「2023韓国遺物特別展アリアリラン」を開催している。
韓国の国立中央博物館が貸し出した絵画4点と、プロイセン文化遺産財団の民俗学博物館が所蔵する朝鮮王朝時代の
朝鮮の遺物1800点あまりから120点を選別し、来年4月中旬まで7カ月間続く。

 これに投じられた韓国政府の予算だけでも約10億ウォンに達する。
フンボルトフォーラムは、ドイツなどの植民主義問題を深く扱うという目標を掲げ、2021年9月に開館した。

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白黒写真「水を汲む女性」の解説文章には「(1904~1907年に北京のドイツ公使館に勤務した)アドルフ・フィッシャーが
1905年に約5週間朝鮮を訪問した際に直接撮影したもの」という説明が添えられている=ベルリン/ノ・ジウォン特派員//ハンギョレ新聞社

 展示に含まれる写真のなかには、水甕を掲げて胸をさらけ出した「水を汲む女性」(Water Bearer)
という題が付けられた白黒写真がある。「(1904~1907年に北京駐在ドイツ帝国公使館に勤めていた)アドルフ・フィッシャーが、
1905年に朝鮮を約5週間訪問した際に直接撮影したもの」という紹介と、
「朝鮮王朝時代の中頃から、息子だけが相続でき家系を継いだ。そのため女性たちは特に息子を生むのを誇らしく思った。
下層の女性たちは、母乳の授乳のために露出した自身の胸を見せ、息子の誕生を暗示した」という解説が添えられている。

 だが、この写真はフィッシャーではなく、1900年代初期に日本人が演出した写真である可能性が高い。
1907年、京城写真館・日韓書房が出した『韓国風俗風景写真帖』にこの写真が含まれているだけでなく、
この写真の「モデル」と推定される女性が、その写真帖に胸を出したまま両班や庶民の服装などをして何回も登場するからだ。

 日本人が、朝鮮女性を「対象化」すると同時に、朝鮮文化が「劣っている」ということを暗示するために
意図的に撮影した演出写真である可能性が高い。

 2005年に『朝鮮から来た写真はがき』と題する著書を出した江原大学文化人類学科のクォン・ヒョクヒ教授は、
「この写真は日本人写真館の朝鮮風俗写真だ」とし、
「様々な写真を撮影した後に現像して、主に外国人にコレクション用として販売したもの」だと述べた。

 また、「水を汲む女性の写真の後ろに植木鉢が置かれていることからみて、スタジオで作業したと思われる」とし、
「長衣(頭からかぶり体の上半身を覆う女性用の服装)を着た(別の)写真も、スタジオで撮影されたもの」だと説明した。
ー後略ー
ベルリン/ノ・ジウォン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

全文はソースから
登録:2023-10-19 07:44 修正:2023-10-19 09:01
https://japan.hani.co.kr/arti/international/48123.html

引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1697687360/

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