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【韓国】1592年壬辰倭乱当時、晋州城の戦いで飛行機が飛んだ

1: ダーさん@がんばらない ★@\(^o^)/ 2017/09/12(火) 10:33:48.09 ID:CAP_USER.net
<チョン・ジョンヨン作家の「文学で学ぶ韓国の歴史」> 1592年壬辰倭乱当時、晋州城の戦いで飛行機が飛んだ。

「北朝鮮、6回目の核実験」強行...韓半島の危機は最高潮」

2017年9月、最初の週末、このようなニュースがニュースのトップ記事を飾った。青い秋の空に入道雲が咲くが、相次ぐ北朝鮮のミサイル挑発のために、大韓民国の青空はなんとなく暗雲が立ち込めている。さらに、雲の中を飛ぶ最新の戦略兵器まで... ... 。

空、飛行機!

人々は古くから空を飛びたかった。ギリシャ神話にイカロスという人物が登場する。ダイダロスとイカロスは金持ちの抑圧を避けるためにクレタ島から脱出することに心を決め、鳥の羽と蜜蝋を用いて翼を作る。イカロスは太陽の近くに飛び立ったが、海に落ちて死んでしまう。人間のこのような欲望は、現代まで続いた。レオナルド・ダ・ヴィンチの「艇」、フランスのモンゴルフィエ兄弟の「熱気球」、ライト兄弟の「フライヤー号」まで... ... 。最近、私たちの空にも数多くの飛行機が飛び回る。

「死の白鳥」の異名を持つB-1B

ステルス性能に優れ、敵防空網を突破して作戦遂行が可能なF-35B

優れた「目」と強力な「打撃」で韓半島全域をカバーすることができるF-15K

最新鋭の飛行機が韓国を守るということで安心だが、私たちの空を守る飛行機がすべて「made in USA」ということを考えると胸が少し苦しい。しかし、四百年以上前に壬辰倭乱の時、私達の空には、私たちの飛行機が飛んだ。

壬辰史を書いた「倭史記」には、「飛車のために日本軍が作戦を展開するのに大変苦労した。」と伝えている。強大な日本軍を苦しめた飛車!飛車は風に乗って空中を飛び回り浮かんでいる。まさに朝鮮の空を飛んだ飛行機だった。

慶尚道の城が敵国に包囲されるとすぐに城主と親しい人が飛車を製作して30里を飛んで倭敵を避けた。

- 朝鮮後期の実学者シン・ギョンジュン(1712年~1781年)の<旅庵全書> -

その機械は、ひたすらヒンジを左右に動かしながら接続されて伸縮し、互いに運行し、空気中で風を起こしながら両翼がはためき、明らかに浮かんで鋭い風と大気の上でもその勢いを阻止できなかったはずだから、これはすなわち氣で機械を動かして、新しい鳥としての方法をしていたので考えでは可能であるといえる。

<五洲衍文長箋散稿>、「飛車弁証説」の中で
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「飛車弁証説」を読んでみると、飛車は明らかに動力で動く飛行機であった。このようなものを調べるとき、多くの記録はありませんが、飛車があったのは明らかな事実と見ることができる。しかしそれ以来、飛車の記録を見つけることはできない。

もし、どこかで飛車が発見されれば、人類の飛行の歴史を書き換えなければならないだろう。想像するだけでどれほど誇りで満たされることか!

この物語にもっと関心を持った読者であれば、<晋州城よそれは飛車>、<飛車、空を飛ぶ」という本を推薦する。晋州城の戦いに関する歴史も学ぶことができ、飛車の製作方法、動作原理まで詳しく知ることができる。

過去、我が民族の科学技術は世界的な水準だった。世界初の金属活字、天才科学者チャン・ヨンシルまで... ... 、しかも朝鮮中期に、このような飛行技術まで保有したというから驚かざるを得ない。しかし、今日の現実は以前と違いすぎる。韓国の医学、科学分野のノーベル賞受賞者はまだ一人も出ていない。先祖の業績に迷惑をかけるほどではないが、少し恥ずかしい気がする。

筆者は一人でこのような想像をしてみた。もし、このような技術をさらに発展させて近・現代まで続けてきたとすれば、今日、世界の中の韓国の地位はさらに高くなかっただろうかと想像してみる。

ソース:デジタル経済 2017.09.09 20:26(韓国語)
http://www.deconomic.co.kr/news/articleView.html/?idxno=22683

引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1505180028/

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【韓国】歴史上の偉人を祭る場に日本固有種の樹木、撤去の訴え上がる=「日本の木はあり得ない」「燃やしてしまえ」―韓国ネット

1: ねこ名無し ★@\(^o^)/ 2017/08/16(水) 13:20:13.33 ID:CAP_USER.net
2017年8月14日、韓国・ニュース1によると、文禄・慶長の役で朝鮮水軍を率いて日本軍と戦い活躍したとされ、韓国で英雄視されている将軍・李舜臣(イ・スンシン)を祭った顕忠祠(ヒョンチュンサ)に、日本固有種の樹木が植えられているとして問題となっている。

海外にある文化財の回収活動などを進める市民団体「文化財チェジャリチャッキ(本来の場所に取り戻すの意)」は14日、李舜臣宗家(15代宗家チェ・スンソン氏)と共に、顕忠祠に植えられている日本固有種の常緑針葉樹「コウヤマキ」の移植を求める陳情書を文化財庁に提出したことを明らかにした。

陳情書には、「文化財庁も(コウヤマキを)『史跡地に不適合の樹種』に分類、徐々に除去を進める方針を明らかにしていた」にもかかわらず、「朴正熙(パク・チョンヒ)大統領(当時)が植えたという理由で、まだ移されていないというのは胸が痛む」などと記されている。

また、「1991年に顕忠祠を訪問した盧泰愚(ノ・テウ)大統領(当時)の指示で樹立された『顕忠祠造園改善案』によると、朴正熙大統領による記念植樹は境内の外に移設すると記載されている」とし、

「朴正熙大統領(当時)があえて李舜臣将軍祠堂の前にコウヤマキを植えねばならない理由があったわけではなく、単純な考えから始まった誤りなのであれば、今すぐにでも是正するのは当然だと思う」と訴えた。

この報道を受け、韓国のネットユーザーからは「朴正熙の墓の近くに移せばいいのでは?」「燃やしてしまえ」「李舜臣の墓に日本の木はあり得ないよね」「国を守った李舜臣公の墓に独裁者(朴正熙元大統領を指す)が植えた木があること自体いけない」など、コウヤマキ移植に多くの賛成の声が寄せられた。

また、「この木の移植に反対すれば親日派と見なされる」と、反対意見を出しにくい雰囲気について語ったコメントもみられた。(翻訳・編集/三田)

http://www.recordchina.co.jp/b187677-s0-c30.html

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写真はソウルにある李舜臣像。

引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1502857213/

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【韓国】 壬辰倭乱時に空を飛んだ「ピチャ(飛車)」、発展委員会開催 ~ライト兄弟の初期飛行より300年早く

1: LingLing ★@\(^o^)/ 2017/07/27(木) 17:11:59.51 ID:CAP_USER.net
■晋州城「ピチャ(飛車)」懇談会に人目集中
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ピチャ発展委員会役員懇談会の様子

・ピチャ発展委員会25日、役員懇談会で活動実績共有
・市民「創造都市指定前に控えた今、ピチャ関心とても高い」

壬辰倭乱当時、晋州城の上を飛んだ「ピチャ(飛車)」を広く知らせるため、ピチャ発展委員会役員懇談会に市民の注目が集まっている。

ピチャ発展委員会が25日午後3時、晋州市役所5階の会議室で役員懇談会を開き、これまでのピチャ発展委員会の活動実績の共有と、今後のピチャに関する研究および広報計画について深い議論が交わされたためである。

この日、懇談会に出席したイ・チャンヒ晋州市長も挨拶で「大韓民国の人類飛行機具の始発点であり、我々の先祖の卓越した才能と航空技術から案ずるに、航空産業が晋州に根を置いているということは当然のことだ」と説明するなど、ピチャ発展委員会役員懇談会に期待を示した。

ピチャ発展委員会は、小説「晋州城ピチャ」を書いたキム・ドンミン作家、イ・イルグ弁護士を共同委員長とし、300にも上る発足会員の構成は、晋州だけでなく過去の晋州牧に属していた西部慶尚南道地域の市民を土台とする。

「空を飛ぶ車」という意味のピチャは、壬辰倭乱時に日本軍に包囲された晋州城で、軍官チョン・ピョンクが作った飛行体として知られているもので、1903年のライト兄弟の初期飛行より300年も早いのである。

壬辰倭乱当時、晋州城が倭賊に包囲されると30里(12km)を私はピチャを作って人を救出し軍需物資を輸送する、など日本軍が作戦を展開するのに酷い苦境に立たされた記録が残っている。

しかし、ピチャの実物が残っておらず、設計図などの記録がないため、公式的な認定を受けられずにいる状況だ。

市民のキム(63)氏は「壬辰倭乱当時、晋州城の上を飛んでいたことが知られているピチャの実物だけでなく設計図のような記録がないため、公式的な認定を受けられない状況だなんて胸が痛い」とし、
「毎週土曜日、晋州城一帯で常設公演され、無形文化財もユネスコ民俗芸術の創意都市指定を祈願している時期であるため、ピチャに対する関心が非常に高い」と話した。

ソース ニュース慶南(韓国語)
http://www.newsgn.com/sub_read.html?uid=175403&section=sc45

引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1501143119/

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韓国で行き詰まった幹細胞研究、日本で開花

1: 荒波φ ★@\(^o^)/ 2017/07/23(日) 09:51:09.24 ID:CAP_USER.net
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117年の伝統を持つ東京女子医科大学のキャンパスにある研究所「TWIns」。ここは臨床研究が盛んな東京女子医大とバイオ細胞工学研究に強みを持つ早稲田大学が意気投合して設置した研究施設だ。研究所の地下にある細胞工程室には1-2ミリメートルの薄さの心臓筋肉細胞の塊が試験管の中で心拍を刻んでいる。まるで生きている「細胞シート」のように見える。

この細胞を心不全で力を失った心臓に貼り付けると、細胞が中へと浸透し、心拍を起こすようになる。死んだ筋肉を新しい筋肉へと蘇らせる先端幹細胞再生医療だ。研究を統括する清水達也博士は「これまで末期心臓病の患者約40人に細胞シートを移植することに成功した。健康保険が適用され、移植がさらに活性化している」と説明した。

■日本が幹細胞研究の中心地に

韓国の幹細胞研究は、黄禹錫(ファン・ウソク)事件や崔順実(チェ・スンシル)事件でスローダウンしたのと対照的に、日本では2012年に京大の山中伸弥教授が人工多能性幹細胞(iPS細胞)でノーベル賞を受賞したことをきっかけとして、幹細胞治療剤大国に浮上している。

神戸市の理化学研究所の施設では、世界で初めてiPS細胞を利用した網膜再生が進んでいる。加齢黄斑変性で視力を失った患者に幹細胞網膜細胞シートを移植する治療だ。これまでに2人の患者に治療が行われた。開発者の眼科医、高橋政代博士は「大きな副作用を起こさずに治療が進んでいる。さまざまな血液型と遺伝型を持つ約10人で網膜幹細胞バンクを作れば、日本人の85%に普遍的に移植が可能だ」と説明した。

角膜損傷患者約30人には角膜再生細胞移植治療が既に行われた。食道がんで食道が損傷した20人余りには食道粘膜細胞の移植治療が実施された。多方面で幹細胞治療剤が開発され、患者に使用されている形だ。

■韓国の手法を実行に移した日本

日本の幹細胞治療が活性化した契機は14年11月に医薬品関連法規が改正されて以降だ。幹細胞治療剤の場合、臨床試験初期(第1、2相)が終了し、安全性に問題がなければ、使用承認を先に出し、治療過程を見ながら副作用の有無を監視・管理することが柱だ。実用化時期を1-3年前倒しし、開発コストを数十億ウォンから数百億ウォン軽減する効果がある。

こうした医薬品の迅速な許可方式は、2010年代初めに韓国が先に立案したものだ。しかし、韓国ではそこに幹細胞治療剤を含めるかどうか論争を繰り広げた結果、法案はお蔵入りした。その間に日本の厚生労働省は韓国の法案に着眼し、14年に法制化に踏み切った。

理化学研究所の高橋博士は「韓国の迅速な承認アイデアは他に治療法がなく、副作用がすぐには現れない幹細胞治療剤の開発には適している。日本の研究者や医師は法案が韓国から導入されたことを皆が知っている」と説明した。

現在全世界の幹細胞治療剤メーカーが日本に続々と集結し、富士フイルムなど日本企業は米国の幹細胞関連企業を続々と買収している。日本政府は15年に再生医療だけでなく、生命科学の基礎研究から産業化までを統括する「日本医療研究開発機構」を発足させた。韓国は生命科学分野の研究開発が保健福祉部、未来創造科学部(部は省に相当)など複数の官庁に分かれており、効率性を欠くとの指摘を受けている。

疾病管理本部のホ・ヨンジュ生命医科学センター長は「韓国も胚性幹細胞、万能誘導幹細胞のバンクが整備されている。研究開発の活性化条件が整えば、3年以内に日本のレベルに達することができる」と指摘した。


2017/07/22 07:03
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/07/21/2017072101501.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/07/21/2017072101501_2.html

引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1500771069/

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韓国が「スキー宗主国」であったという事実をご存知ですか

1: LingLing ★@\(^o^)/ 2017/07/17(月) 20:57:51.81 ID:CAP_USER.net
■[韓国日報] 韓国が「スキー宗主国」であったという事実をご存知ですか
http://sports.news.naver.com/general/news/read.nhn?oid=469&aid=0000218141

「雪の上で履く靴」を意味するスキーはノルウェーが宗主国として知られている。

ノルウェー語と英語のskid,skip,skiff,slide及びskateなどが語源で、数千年前から冬が長く雪が多い山岳地帯で歩行、狩猟、運搬の目的で使われており、北欧では戦争当時、重要な移動手段として利用されることもあった。

いわゆる「ノルウェースキー」は農民と猟師によって伝わった。1740年頃ノルウェー軍隊がスキー部隊を編成した後に活性化してスキー競技へと発展した。

1877年、ノルウェー・クリスチャニア(現在のオスロ)にスキークラブができて、2年後のハースビヒルで第1回ジャンプ大会が開かれた。

19世紀後半にはヨーロッパ各国に普及し、特にオーストリアでマティアス・ツダルスキーがアルプス山岳地帯に合うスキー技術を研究すると同時に、それに合う用具を開発することによって急激な発展を遂げた。

このようにヨーロッパからスキーが始まったとよく知られているが、1955年出版されたC.J. ルーターの「古代スキー歴史50年」に収められた図を見れば、スキーはむしろ韓国北東部と中央シベリアから全世界に伝わった経路が具体的に描かれている。

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地図の一番上左端に描写された図は、アイスランドの神話に出てくるスキーの神であるウルの姿で、17世紀にラプランドゥンが描いたと言われる。

スキーを履いて弓を撃つ場面で、スキーの左右の形と長さが違うように描かれているが、これは韓国のソルメの形と同様だ。韓国北東部の山間地方に古くから固有のソルメ(スキー)があるという説は多くの国で知られていた。

一方、日本の場合は1911年1月12日、オーストリア陸軍少佐のフォン・レルヒーからスキーを伝授されたと記録されている。

日本は、しかしながら韓国にも固有のソルメがあるということを知って探しに出た。

1912年咸鏡南道ミンチョン所在の農家で発見されたスキー。炭素年代測定で4世紀に製作されたことが明らかになった。
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日本軍ユカワ中尉が咸鏡南道の山あいにある農家の倉庫からスキーを発見した後、記念撮影をしている。
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実際に翌年、当時植民地の韓国に駐留した日本軍のユカワ中尉が、咸鏡南道(※北朝鮮)ミンチョン所在の山あいの農家の倉庫でスキーを発見し、炭素年代を測定してみると、4世紀の時に木で製作されたスキーだと明らかになった。

特に、スキーの本体に4個の穴を開け、両側のスキーの長さが若干違うように製作された点が、現代ヨーロッパで開発されたスキーとそっくり似ていたということだ。

これに対してチェ・イルホン江原道開発公社アルペンシア事業団課長は「現存最古の北欧スキーより、我が国のスキーが何と1300年ほど先んじていたという明白な証拠」と話した。

現在このスキーは日本の新潟県のタカダ(現在、上越市)博物館に展示されている。

チェ課長は続けて、国際オリンピック委員会(IOC)関係者もこのような説明を聞いたら、非常に雰囲気が粛然とするとつぶやいた。

引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1500292671/

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