日帝

【731部隊】 日本戦犯731部隊隊員の名前などを名簿で確認…何と2149人、細菌生産も

1: 蚯蚓φ ★ 2020/06/23(火) 21:50:00.68 _USER
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▲民間人地域でペスト菌を実験する731部隊、この部隊は細菌武器を開発しようと残酷な生体実験もはばからなかった。聯合ニュース

第2次世界大戦当時、日本が中国のハルビンに駐留させた細菌戦部隊(731部隊)名簿と彼らが敗戦後、退路などが明記された公文書の内容が初めて公開された。

22日、京都新聞など現地マスコミの報道によれば公文書は滋賀医科大、西山勝夫(78)教授チームが日本国立公文書館で発見したと伝えられた。

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▲記者会見場で公文書分析内容を説明する西山教授.京都新聞

1950~1951年に作成された「関東軍防疫給水部部隊概況」というタイトルの公文書には「防疫給水部本部」と5つの支部の組織構成、ここで服務した隊員の名前、住所、階級などが記録されていた。

日本は初め、同部隊を防疫給水部(伝染病の発生を予め防ぐ部隊)と偽装して1941年、満州731部隊に名称を変えた。設立当時の司令官は1930年代初め、ヨーロッパ視察を通じて細菌戦の効用を悟り、これに対し備えた戦略を積極的に主張した人である細菌学博士、石井四郎中将だ。

部隊の配下にはウイルスや昆虫、凍傷、ペスト、コレラなど生物兵器を研究する17の研究班があり、それぞれの研究班ごとにマルタ(丸太)と呼ばれる人間を生体実験用に使った。これに対し10年間、何と3000人余りが実験に動員されて犠牲になった。
(記者注:「日本は始め・・・」から「・・・犠牲になった。」までの文章は京都新聞に記載なし)

公文書では終戦当時、防疫給水部の総員は3262人であり、そのうち2149人が731部隊所属と確認され、「終戦まで主に細菌研究および生産に重点を置いた」という文面が記載されていた。
(記者注:京都新聞では「終戦時迄(まで)主として細菌の研究及(および)生産に住じていた」(原文ママ)。)

公文書を分析した西山教授は「他の支部がもっとあったと見られる」として「文書確認まで長い時間が必要で残っている生存者(731部隊員)に聞く当時に起きたことやそれを土台にした検証が難しくなる。速やかに公開することが必要だ」と強調した。

イ・ドンジュン記者

ソース:世界日報(韓国語)日戦犯731部隊員の名前など名簿確認…何と2149人・バクテリア生産も
http://www.segye.com/newsView/20200623518807

関連記事:京都新聞<731部隊、詳細な隊員情報や組織機構が判明 70年前の公文書を新発見>
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/285364

引用元: http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1592916600/

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【親日】韓国政府、親日派子孫が受け継いだ土地の還収訴訟提起

1: Ikh ★ 2020/06/17(水) 20:00:23.49 _USER
親日派とされている李海昇(イ・ヘスン)(1890~1958年)とイム・ソンジュン(1860~1919年)の子孫が受け継いだ土地を還収するために韓国政府が訴訟に入った。

法務部は李海昇とイム・ソンジュンの子孫に対して京畿道議政府市虎院洞(キョンギド・ウィジョンブシ・ホウォンドン)の土地など15筆地の所有権を国家で移転するよう命じる内容の訴訟を議政府地裁と水原(スウォン)地裁驪州(ヨジュ)支援に提起したと16日、明らかにした。対象の土地は面積2万1612平方メートル、土地の価格は公示地価基準で22億4093万ウォン(約2億円)だ。

光復会は昨年10月に李海昇ら親日派6人の子孫と第三者が所有している親日財産80筆地(面積16万7142平方メートル、公示地価180億ウォン)を国家に帰属してほしいと法務部に要請した。法務部はこれらのうち、親日行為の対価性など国家帰属要件が認められる土地15筆地を確認し、今月8~10日裁判所から不動産処分禁止仮処分決定を受けた。

法務部は残りの土地に対しても追加で証拠を確保して国家帰属対象に判断されれば訴訟を提起する計画だ。李海昇は第25代国王・哲宗(チョルジョン)の父親・全渓大院君の玄孫で、日帝から朝鮮貴族のうち最高地位である侯爵の爵位と恩賜金16万2000ウォンを受け取った。自発的皇国臣民化運動を行うために結成された朝鮮臨戦報国団発起人として活動した。イム・ソンジュンは子爵の爵位と恩師金5万ウォンを受け取った。2人は2007年に親日反民族行為者と指定された。

親日反民族行為者の財産の国家帰属に関する特別法は、国権侵奪が始まった日露戦争開戦時期(1904年2月)から1945年8月の間、日帝に協力した対価として受け取った財産を国家に帰属させるというものだ。法務部は親日反民族行為者財産調査委員会から親日財産国家帰属業務を譲り受けた2010年7月以降、国家訴訟17件のうち16件で勝訴した。

ソウル高裁は昨年6月、国家が李海昇の子孫を相手に出した所有権移転登記訴訟の控訴審で、受け継いだ土地のうち1筆地だけ国家に返すよう判決を下した。この土地は国家が請求した土地138筆地のうち1つで、面積が4平方メートルにすぎず、親日派財産還収の意味が大きくないという指摘があった。法務部関係者は「光復会が当時の訴訟件と別に追加で議政府地域に李海昇の子孫が所有する13筆地を捜し出して仮処分決定が受け入れられた」と話した。

一方、親日派子孫の財産まで国家が介入して訴訟を提起することは適切ではないという指摘もある。キム・ギス弁護士〔法律事務所・利世(イセ)〕は「親日派子孫も大韓民国の国民なのに両親の罪まで責任を負わせようとする政府の訴訟は国と個人の信頼を崩壊させかねない」と批判した。

ソース
? 中央日報/中央日報日本語版2020.06.17 15:53
https://japanese.joins.com/JArticle/267156

引用元: http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1592391623/

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【韓国】 人を害しておいて有り難く思えという「強盗」日本~正義連問題が歴史問題を弱めると思うな

1: 蚯蚓φ ★ 2020/06/15(月) 01:02:25.51 _USER
正義記憶連帯(正義連)と理事長だったユン・ミヒャン議員に対する各種の疑惑がふくらんで国内が沸きかえっている。ところで、あたかもこれを待っていたとばかりに日本の恥知らずな行為が度を越している。日帝治下36年間、あらゆる蛮行と収奪を日常的に行ったことに対する反省どころか侵略行為を正当化しようとする動きが雨後のタケノコのように起きている。

日本極右指向メディア・産経新聞は去る7日付コラムで「韓国が成し遂げた経済発展は日本が敗戦後に残した資産のおかげであり、したがって日本軍慰安婦や強制労働被害者に対する補償は韓国が自主的にしなければならない」と主張した。食糧・文化財などお金になるものはすっかり席巻し、持っていけない工場は放ったまま逃げて、今になって自らのおかげで私たちが良い暮らしをすることになったというから、強盗と違わない、あきれたたわごとだ。

コラムは「植民地近代化論」を主張する国内親日派学者の主張を根拠に上げて敗戦後、日本が残した資産総額が当時の通過で52億ドルあり、現在の価値で数千億ドルになると主張する。また、日本人が韓国を離れる時、残した巨額の財産が米国を経て韓国に譲渡され、韓国経済発展の基礎になったという。

しかし、日帝治下36年は悲劇そのものだった。これによって私たちがこうむった有無形的の被害はいかなる表現を動員しても足りない。日帝収奪の実状は日本人学者、鳥海豊(とりうみ・ゆたか)博士が「日本学者がみた植民地近代化論」という著書で詳しく紹介している。彼は当時の資料を基に日本の投資が日本人のお腹を満たすために入ったと明らかにしている。
日帝時代、韓国に来た日本人はほとんど貧困と職業がない失業者だったが、彼らはみな金持ちになった反面、朝鮮人はさらに貧しかった。日本人は朝鮮人を相手に座ったまま投機をし、朝鮮人のお金が日本人に流れたということだ。

特に目を引くのは当時、日本本国の官吏や政治家たちが朝鮮で工業を起こしてはならない、という方針を持っていたという部分だ。鳥海博士によれば、明治維新初期の殖産興業(日本明治政府による新産業育成政策)を通じて工業を発展させた日本が朝鮮には官営工場を全く作らなかった。日本本土にある工場と競争するかもしれない、という理由からだ。だから敗戦後、日本が残した企業は日本が朝鮮のために設立したのではなく、朝鮮に対する収奪を目的にたてたと見るのが常識的な判断だ。それでも親日勢力は「植民地近代化」を云々して収奪の歴史を消そうとする日本の舌になることをはばからない。

無形的な被害はより一層大きい。いやどの程度なのか測定が不可能だと見るのが正しい。すでに1905年、乙巳保護条約以前から日本による蛮行は進行していた。日本浪人による無慈悲な明成(ミョンソン)皇后殺害事件は朝鮮王室と国民の自尊心にこの上なく大きな傷を負わせたし、朝鮮軍を無力化して国を防御する能力を喪失させた。また、不正な権力をふるって富国強兵と自主的な近代化を試みた東学農民軍を鎮圧し、自然発生的だった近代化の芽を切り捨てた。

1910年韓日強制併合は半万年の間続いてきた韓民族の血脈を絶った。韓半島の山河は日帝侵略軍に踏みにじられて荒廃化し、民族の同質性はこなごなになってしまった。同質性喪失は結局、解放後6・25韓国動乱(朝鮮戦争)という同族間の争いの悲劇まで続き、日帝侵略による被害は単に目に見えるものだけが全てではなかった。
>>2-5あたりに続く

モ・ヨンボク選任記者
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ソース:慶北道民日報(韓国語)人害しておいて有り難く思えとの‘強盗'日本
http://www.hidomin.com/news/articleView.html?idxno=424438

引用元: http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1592150545/

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【韓国】 「我が国の植物標本、多数が日本に…取り戻さねば」「王桜の日本式学名も改名必要」~植物研究所理事長

1: 蚯蚓φ ★ 2020/06/04(木) 13:32:43.77 _USER
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▲エミール・タケ、フォーリー神父.毎日新聞DB

112年前の1908年、済州島(チェジュド)が世界唯一の王桜自生地であることを初めて明らかにしたエミール・タケ神父(1873-1952)の植物標本展示会が去る5月29日から大邱(テグ)泛魚(ポモ)大聖堂のギャラリーで開かれている。

エミール・タケ植物研究所主催で、国立樹木園・ソウル大学農業生命科学大学スウ植物標本館が共同主催した。この展示会ではタケ神父が採集した植物標本47点を展示している。

タケ神父は漢拏山(ハルラサン)王桜自生地を世界で初めて発見し、クリスマスツリー用の木として有名な韓国産チョウセンシラベ(モミの一種)をやはり一番最初にヨーロッパに知らせた他にも済州島など韓国で1万点以上の植物を採集した。
その中で我が国の植物分類学の先駆者であるイ・チャンボク博士(1919-2013)が保有してきたものなどを今回展示する。

この展示会ではタケ神父同様、パリ外国宣教会の先輩宣教師であり、やはり植物採集に力を注いだフォーリー神父(1847-1915)も紹介する。二人は1900年代初めから共に済州島漢拏山や西帰浦(ソギポ)一帯などをまわって多様な植物標本を採集した。

フォーリー神父は本来、日本で司牧しながら日本全域を縫った伝説的植物採集家として知られている。当時、日本と韓国はもちろん台湾、ハワイなどをまわって植物標本採集にまい進した。

すなわち、二人は東アジアに来た天主教神父であり、東アジアの植物生態を世界に知らせた植物学者であった。そのため、二人が韓国で採集した植物標本はかなりになる。ところが、その多数が現在、韓国でなく日本にある。

エミール・タケ植物研究所理事長チョン・ホンギュ神父は「フォーリー神父が韓国で採集した植物標本5千点余りが日本京都大学に積まれている。タケ神父の植物標本多数も東京大学にある。今回の展示会を契機に取り戻すために努力する」と明らかにした。

チョン・ホンギュ理事長は「初めはタケ神父が済州島から持ってきて天主教大邱大教区庁に植えた王桜を契機に、タケ神父の我が国の植物採集業績に光を当てた。引き続きタケ神父に協力したフォーリー神父の業績も調べながら、二人が我が国で採集した植物標本の還収必要性も切実に感じた」と理由を説明した。

合わせてチョン・ホンギュ理事長は「今回の展示会を契機にこれまで日本式学名をそのまま使ってきた我が国の王桜の学名の改名にも力を加える」と明らかにした。(記者注:現在の王桜の学名「ケラスス・ヌディフローラ」と日本は関係ないため、ソメイヨシノの学名「プルヌス・エドエンシス」のエドの部分かと思われる)

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▲天主教大邱大教区庁内テゴン館の前の王桜.毎日新聞DB

ファン・ヒジン記者

ソース:韓国毎日新聞(韓国語)"外国人新婦採集植物標本多数日本に…取り戻さなければ"
http://news.imaeil.com/Religion/2020060318174581050

関連スレ:【韓国】 王桜の故郷は済州!なぜ、学名に日本人の名前が? =東亜日報・子供ニュース[03/31]2017
https://mint.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1490938672/

引用元: http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1591245163/

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【韓流】映画『自転車王オム・ボクドン』~日本の最強選手たちを撃退!(主演=ピほか)

1: ハニィみるく(17歳) ★ 2020/05/25(月) 10:56:28.25 _USER
(写真)
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本日25日(月)の14時50分から17時20分まで、OCNで映画『自転車王オム・ボクドン』が放送される。

監督=キム・ユソン。主演=ピ(オム・ボクドン)、カン・ソラ、イ・ボムス。助演=コ・チャンソク、キム・フィウォン、ミンヒョリン、イ・シオン、パク・ジンジュ。

2019年2月27日に公開された『自転車王オム・ボクドン』は観客の評価7.44、ネチズンの評価3.85,、累積観客数172,213人を記録した116分のドラマ映画である。この映画は第39回・黄金撮影賞の授賞式で、撮影賞(金賞)と新人監督賞を受賞した。

映画『自転車王オム・ボクドン』は、日帝強占期の希望を失った時代に日本選手を追い抜き、朝鮮人としては初めて全朝鮮自転車大会で1位を収め、東アジア全域を席巻した『東洋の自転車王』オム・ボクドンをモデルにした作品である。

1919年3月1日、民族代表33人の独立宣言文の朗読を基点にして、日本の植民地支配に抵抗して全朝鮮で憤然と起きた最大規模の民族運動であり、抗日独立運動である三・一運動が始まった。当時の朝鮮の人口2,000人のうち10分の1に相当する200万人が参加、約10日後には全国に広がった三・一運動は第一次世界大戦以降、戦勝国の植民地では初めて発生した大規模な独立運動だった。また三・一運動は有識者や学生だけではなく労働者や農民、商工人などの各界各層の民衆が参加して独立運動史の転換点を築き、歴史に朝鮮民衆の独立に向けた意志と底力、民族意識と政治意識を表した意味のある事件だった。

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自転車大会で日本の最強の選手たちを退けて堂々と優勝を獲得したオム・ボクドンは、自転車大会で民族の精神を抹殺しようとした日本の計略を完全に崩し、朝鮮の自負心を高めて全朝鮮を熱狂させた。1913年から公式的な自転車大会に出場し、百戦無敗という驚くべき記録を打ち出したオム・ボクドンは、民衆に日帝への怒りを噴出させる突破口であり民族の英雄だった。彼の勝利は2,000万人の胸の中に朝鮮に対する自負心を植えつけ、1919年の三・一運動前後の民衆にとって国の独立という希望を抱かせるきっかけになった事件だった。

民族の英雄と呼ばれた『孫基禎(ソン・ギジョン)』選手と同じく、朝鮮人の希望になった人物だったが、『オム・ボクドン』という名前は、今ではほとんど忘れられた名前である。しかし出場する自転車大会ごとに徹底的に鍛えられた日本の代表選手を退け、朝鮮民衆の英雄として浮び上がった『オム・ボクドン』は、大韓民国の近代史で必ず記憶しなければならない初の大衆的なスポーツスターだった。彼は1913年4月13日、龍山(ヨンサン)で開催された自転車大会で1位を収め、出場する大会ごとに日本選手を相手に勝ち続け、特に1923年に中国で開催された国際大会で優勝し、朝鮮を超えて東アジアを席巻した『東洋の自転車王』として定着した。

以下、略

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ソース:韓国講師新聞(韓国語)
http://www.lecturernews.com/news/articleView.html?idxno=41291

引用元: http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1590371788/

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