日帝

【韓国】 日帝が抹殺して「絶滅又は絶滅危機」に瀕した我が国の動物6種

1: 蚯蚓φ ★ 2017/10/14(土) 15:34:56.26 ID:CAP_USER.net
1910年から1945年まで続いた日帝強制占領期間は韓国の歴史上最もぞっとする時代に数えられる。これは人だけでなくこの土地に住んでいた動物も同じだった。当時、日帝は朝鮮を物的に収奪するのはもちろん民族精神さえも奪おうとした。日帝はこのために口のきけない獣まで無作為に虐殺した。そのため、私たちの山と海、野原を駆けた多くの動物は絶滅したり絶滅危機に貧することになった。私たちのご先祖と一緒に暮らした動物のうち日帝の犠牲になった動物を確認してみよう。

1.虎
no title


18世紀に入り、韓半島に棲息した虎の個体数はどんどん減り始めた。牛に発病する流行病の牛疫は牛だけでなく虎などの野生動物にも広がり、焼き畑開発が増えて虎の棲息地も減った。特に1915年、朝鮮総督府が猛獣から人を保護するという名分の下に実施した「害獣駆除事業」で多くの虎が屠殺された。そのため白頭山脈に号令した虎は1921年を最後に痕跡をなくした。

2.熊
no title


日帝の害獣駆除事業で最も大きな被害を受けた野生動物は熊だ。朝鮮総督府統計によれば1919年から1942年まで害獣駆除事業で屠殺された熊は何と1,369匹だ。そのためにツキノワグマ、ヒグマなど韓半島に棲息した多くの熊は絶滅危機に瀕した。しかし、幸いツキノワグマは、学界、政府、市民社会などの努力で智異山(チリサン)に復元され、ヒグマは、北朝鮮、蓋馬(ケマ)高原一帯に一部残っていることが分かった。

3.ドクトアシカ
no title


アシカ科アシカ属の海棲哺乳類のドクトアシカは独島(ドクト、日本名:竹島)近隣など東海岸に主に棲息した。最大数万匹まで棲息していたことが知られるドクトアシカは1904年以後、皮と油を得ようとする日本人たちによって乱獲された。日本人たちが1904年から8年間捕獲したアシカは何と1万4千匹以上だと知らされた。アシカ革はカバンなど衣類に作られ、子アシカはサーカス団に売った。結局、ドクトアシカは1974年、独島近海で発見された記録を最後に完全に痕跡をなくした。

4.トンギョンイ(東京犬)
no title


「尻尾のない犬」で知られたトンギョンイは新羅時代から慶尚道(キョンサンド)地方の人々に育まれた慶州犬だ。しかし1930年代、日帝は尻尾がないという理由でトンギョンイを手当たり次第に虐殺し始めた。日本人たちが神聖と考える彫像「コマイヌ」がトンギョンイと同じように尻尾がなく、神聖な「コマイヌ」に似た犬が植民地でありふれている事実が日帝の自尊心に触れたのだ。また、日帝は戦争に必要な犬皮を収集するためにトンギョンイを大量虐殺した。しかし、幸い2006年から始まった学界と地方自治体の復元事業のおかげで個体数がある程度復元された。

5.サプサル犬(むく毛犬)
no title


ふくよかな毛が魅力的なサプサル犬やはり日帝強制占領期間当時、トンギョンイのように戦争物資に利用するため手当たり次第に虐殺した。特に日帝はサプサル犬の毛で軍用防寒服を製作したが、このためにサプサル犬50万匹が虐殺されたという話がある。絶滅直前だったサプサル犬は1985年、本格的な育種研究が始まり幸い個体数が増え始めた。

6.大陸鹿
no title


別名「花鹿」と呼ばれる大陸鹿は朝鮮時代まで王室が管理するほど大事にされた。しかし、大陸鹿は日帝強制占領期間に入り、「害獣駆除事業」のまた他の犠牲になった。また、日本人たちは鹿の血や鹿茸を得るために大陸鹿を手当たり次第に捕獲した。その結果、大陸鹿は1940年代を最後に韓半島から完全に跡を絶った。

ソース:インサイト(韓国語) 日帝が抹殺して「絶滅・絶滅危機「に処した我が国動物6種
http://www.insight.co.kr/news/122916

関連スレ:【韓国】 「尻尾がないところが狛犬に似ている」という理由で日帝に虐殺された慶州犬「トンギョンイ」の復活[10/11]
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1507725709/

引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1507962896/

続きを読む

【韓国】 「尻尾がないところが狛犬に似ている」という理由で日帝に虐殺された慶州犬「トンギョンイ」の復活

1: 蚯蚓φ ★ 2017/10/11(水) 21:41:49.62 ID:CAP_USER.net
no title

no title

no title


尻尾がないという理由で侮辱を受けた土地産犬「トンギョンイ」の理由がネチズンの関心を引いている。

最近、オンラインコミュニティとSNSに日帝強制占領当時、日本によって虐殺され復元された慶州犬、トンギョンイの隠された理由が上がってきた。トンギョンイの名前は原産地、慶州の昔の地名である「東京(トンギョン)」に由来する。トンギョンイの容貌は韓国の土地産、珍島(チンド)犬と似ており、尻尾が最初から無かったり非常に短いのが特徴だ。

新羅時代から慶州地方の人々が育てたというトンギョンイは土地産犬中でも文献記録上、最も古い犬として知られている。このように長い間、慶州の人々に愛されたトンギョンイは1930年代蔚山(ウルサン)ハクソン観鐘楼前で発見されてい以来、痕跡をなくした。慶州地域でよく見られたというトンギョンイが突然痕跡をなくした理由は果たして何だろうか。

慶州犬トンギョンイ保存研究所によれば1930年代、日帝強制支配期当時、日本人たちは自分たちが神聖と考える彫像「コマイヌ」に似ているという理由でトンギョンイをむちゃくちゃに虐殺し始めた。日本の王家や神社に見られる「コマイヌ」はトンギョンイと同じように尻尾がなかったが、神聖な「コマイヌ」に似た犬が植民地でありふれているという事実が日帝の自尊心に触れたのだ。

また、日帝は戦争に必要な物資のために犬皮を収集したが、この過程でトンギョンイを含む土地産犬が毎年数十匹ずつ虐殺された。しかし日帝からの解放後もトンギョンイの試練は終わらなかった。トンギョンイは解放後も「奇形だ」、「尻尾がなくて縁起が悪い」等の理由で人々に過小評価を受けて殺された。このためにトンギョンイの個体数は驚くべき速度で急減し、結局、絶滅の危機に瀕することになった。

これを残念に思った慶州市と徐羅伐(ソラボル)大学慶州犬トンギョンイ保存研究所は2006年から慶州犬トンギョンイの血統保全事業を始めた。慶州市は慶州地域の尻尾の短い犬に餌代を支援し、研究所は形態学、解剖学、遺伝学を土台に体系的な調査と研究を実施した。

その結果、トンギョンイは2010年、韓国愛犬協会から珍島犬、豊山(プンサン)犬、サプサル犬に続き韓国固有犬第4号の登録認証を受け、2年後の2012年、天然記念物第540号に指定された。人々に虐待され蔑視されたトンギョンイの位置づけが180度変わったのだ。

慶州市と研究所はこれで満足せず、トンギョンイを保存するための努力を惜しまない。研究所側は「トンギョンイをこれから世界中に誇らしい文化遺産として位置づけていこうとあらゆる努力をつくす」と抱負を明らかにした。

ソース:インサイト(韓国語) 尻尾がないという理由で日帝によって虐殺された慶州犬「トンギョンイ「
http://www.insight.co.kr/news/122647

関連スレ:【韓国】 日本に虐殺され軍用毛皮にされた韓国の犬~世界史にも例がない犬版ホロコースト[03/30]
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1490937992/

引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1507725709/

続きを読む

「従軍慰安婦」の強制連行も、差別もなかった 最後の証人が語る、日本の朝鮮統治の「真実」

1: ねこ名無し ★ 2017/10/09(月) 05:35:11.71 ID:CAP_USER.net
日韓関係をぎくしゃくさせている原因のひとつとしてあげられることの多い、日本による「朝鮮統治」。今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、朝鮮総督府で官吏をされていた西川清氏の著書『朝鮮総督府官吏、最後の証言』の内容を引きながら、朝鮮統治時代の日本人と朝鮮の人々との関係性について、メルマガ著者の伊勢雅臣さんが分析・解説しています。

朝鮮総督府の「一視同仁」チームワーク

朝鮮総督府で官吏をされていた人が、当時の体験を語った貴重な本がある。本年7月、102歳で亡くなられた西川清氏の『朝鮮総督府官吏、最後の証言』だ。表紙の帯には「おそらく総督府の実態を語れるのは私が最後だと思います」との発言がある。

この本の裏表紙にある写真が、西川さんの証言のすべてを物語っている。そこでは4人の若い男性が桜の木の下で、肩を組んでいる。キャプションには「1934年 官吏仲間と楽しく花見する西川氏」とある。

一人は着物を着ているので日本人と分かるが、他の3人は洋服だ。そのうちの一人が西川さんで「大和系日本人」、残る2人の青年には「朝鮮系日本人」と注意書きされている。

仲良く肩を組んでいるので、そのような注意書きがなければ、誰が日本人で誰が朝鮮人だか全くわからない。西川さんの朝鮮総督府での業務体験を読んでいくと、日本人と朝鮮人が一体となったチームワークで仕事をしていたことがよく窺われる。

町の周囲の山が禿山だった

西川さんは昭和8(1933)年18歳で和歌山県の熊野林業学校を卒業し、校長の斡旋で朝鮮総督府に就職した。朝鮮といっても、当時は内地(国内)、外地(朝鮮、台湾)とも同じ日本だったので、日本国内の遠い地方に行くという感覚だった。任地は江原道(こうげんどう)。「道」は日本で言えば「県」にあたり、江原道は朝鮮半島の東海岸、南北ではちょうど中程にあった。

朝鮮に行ってまず驚いた事は、釜山(プサン)や京城(ケイジョウ、現ソウル)など町の周囲の山が禿山だったことです。
…朝鮮にはオンドルという薪(まき)を焚いて床を暖める設備がどこの家にもありました。朝鮮は非常に寒くなりますから、このオンドルには大量の薪が必要です。しかし、朝鮮には植林をするという技術もなく、指導者もいなかったので、街に近い山々にはほとんど樹木がなくなっていました。
(『朝鮮総督府官吏 最後の証言』桜の花出版編集部/星雲社)

西川さんの最初の仕事は、この禿山に植林をすることだった。まず土が流れないよう、70~80センチの段々を作り、そこに木を植える。植林は土砂崩れや洪水防止のために急務であった。また海の近くに植林することで、漁場に栄養が行き渡る。西川さんは日本の林業学校で「樹のない国は滅ぶ」と教えられていた。

朝鮮総督府は1911年からの30年間で、5億9,000万本もの植林を行った。朝鮮全人口の一人あたり約25本という膨大な数である。西川さんはその一翼を担ったのである。

日本人官吏と朝鮮人官吏の給与も出世も平等だった

昭和11(1936)年に朝鮮総督府は地方官吏養成所を設け、西川さんはその第1期生として京城で1年間学んだ。江原道からは5人が送られたが、そのうちの2人は朝鮮人だった。養成所の第1期から朝鮮人も選ばれて、幹部候補生として育てられたのである。幹部ともなれば、日本人の上司となることも、ごく普通であった。

昭和18(1943)年、西川さんは江原道の21の郡の一つ、寧越郡の内務課長に昇進した。寧越郡は7つほどの村を管轄しており、全体で60名ほどの職員がいた。どこの郡でも郡守はほとんど朝鮮人で、寧越郡も例外ではなかった。西川さんは朝鮮人郡守の下で内務課長を務めたわけである。

給与も出世についても、日本人も朝鮮人も全く差別はなかった。ただ内地から来た日本人には外地手当が支給された。したがって内地に働く日本人官吏と、朝鮮で働く朝鮮人官吏は同じ給与だったようだ。これは現在の多くの日本企業の海外法人よりも公平である。

その後、西川さんは道庁に移って課長補佐になったが、そこでも朝鮮人の方がずっと日本人よりも多く、また道庁の部長もほとんど朝鮮人であった。

http://news.livedoor.com/article/detail/13700505/

>>2以降に続く)

引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1507494911/

続きを読む

【韓国】与党議員「『勤労』は日帝時代の遺物、『労働』に変更を」

1: ねこ名無し ★@\(^o^)/ 2017/08/20(日) 23:00:17.37 ID:CAP_USER.net
与党「共に民主党」の第2政策調整委員長を務める朴光温(パク・クァンオン)議員は20日、全ての法律で「勤労」の代わりに「労働」という言葉を使用するよう定める法案を代表発議したと明らかにした。

朴議員は報道資料を通じ「『勤労』は勤労挺身(ていしん)隊に由来する言葉であり、日帝時代(日本による植民地支配時代)の遺物だ」と説明した。

名称修正の対象となるのは、勤労基準法、勤労福祉基本法など計12件。法案が通過すれば「勤労」という単語が付く法律案の名称は全て「労働」に変わる。また、内容も例えば「勤労者」は「労働者」に、「勤労時間」は「労働時間」に変わる。

朴議員は「国際労働機関や世界の立法例でも『勤労者』という用語は使っておらず、漢字文化圏である中国・台湾・日本の労働法でも使われていない」として「『労働』は対等の位置での能動的な行為を指すが、『勤労』は忠実で勤勉という意味が強調されており、受動的で雇い主に従属するという概念がある」と指摘した。

朴議員はまた「労働節(メーデー)は、朴正煕(パク・チョンヒ)政権時代の1963年に『勤労者の日』に変更された。労働を理念的言語だと疎み、『模範勤労者』の養成を目的としていた雇い主中心の経済システムの弊害」だと主張した。

さらに朴議員は「労働法律の存在理由は、甲と乙の概念をなくし、対等の関係を保障するためのもの。法律用語と社会の認識を変えていくことが、労働がきちんと尊重される社会となるための第一歩」と法案発議の理由を説明した。

コ・ソンミン記者

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/08/20/2017082001673.html

引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1503237617/

続きを読む

【韓国】麻の寿衣は日帝残滓…「収奪を強化しようと風習歪曲」

1: ねこ名無し ★@\(^o^)/ 2017/08/15(火) 10:56:00.99 ID:CAP_USER.net
日本が罪人を象徴する麻の寿衣をどのように植民地の朝鮮で広めてきたかなどを確認する研究結果が出てきた。

冠婚喪祭を重視する儒教思想の中で王室だけでなく民間でも絹などで寿衣を作って親の遺体を覆うことを「孝」と考えたが、日本によって「罪人」が着ていた麻の寿衣に儀礼文化が格下げ・歪曲された過程を説明する研究だ。

チェ・ヨンウ檀国(タングク)大教授(伝統衣装学科)が最近発表した論文「現行麻寿衣の登場背景および拡散過程研究」によると、麻の寿衣は1925年に淑明女子高等普通学校教員の金淑堂(キム・スクダン)(女性)が著した『朝鮮裁縫全書』で本格的に登場する。

金淑堂はその間、韓国初の裁縫教材『朝鮮裁縫全書』の著者として知らされたが、今回の論文で1916年から1921年まで平壌(ピョンヤン)女子高等普通学校の嘱託教員として勤務したことが初めて確認された。

平壌女子高等普通学校は日本の植民統治・収奪機関である朝鮮総督府の直属機関。朝鮮総督府の職員録を見ると、金淑堂は月給15-50ウォンを受けたと記録されている。金淑堂はその後、私立学校の淑明女子高等普通学校に移って『朝鮮裁縫全書』を著した。

当時、日本が三一独立運動の影響で植民政策を武力による無断統治から「文化統治」に変えた時期だ。

金淑堂は教員という身分を活用し、現実とはかけ離れた寿衣を強調した。その間、学界では朝鮮人の金淑堂がなぜ麻の寿衣の定着に率先したのか明確に説明されていなかったが、朝鮮総督府の職員という身分が明らかになったのだ。

麻の寿衣が日帝の残滓という研究は従来からあったが、麻の寿衣の登場背景と拡散過程はチェ教授を通じて今回明らかになった。チェ教授の論文は韓国服飾文化学会の学術誌『韓服文化』最新号(夏号)に掲載された。

チェ教授によると、我々の民族は罪人を象徴する麻の寿衣を避けた。

壬辰倭乱当時に避難中の先祖に会いに行かなかったという理由で罪人になった生理学者の成渾(ソン・ホン、1535-98)は遺書に「私は軍部から罪を得たため(中略)服と遺体にかぶせる布は麻にして(中略)私の意志に背くことがないようにしてほしい」という記録が光海君日記(3冊)で伝えられている。

父母と死別した子は「罪人」という意味で麻で作った喪服を着た。

朝鮮総督府は金淑堂が強調した麻の寿衣を『儀礼準則』(1934年)に記して公布し、朝鮮社会内での定着・拡散に本格的に乗り出した。金淑堂が親日反民族行為をした根拠は伝えられていないが、結果的に儀礼準則の中の麻の寿衣の土台を築いたということだ。

朝鮮総督府は公務員組織を活用するのはもちろん、各種団体、移動講演会などあらゆる手段を総動員し、儀礼準則の定着に乗り出した。麻の寿衣は収奪をさらに強化しようという植民政策の一環というのがチェ教授の説明だ。

儀礼準則の公布当時、宇垣一成朝鮮総督は旧態の改善を強調したが、本格的な戦時体制を控えていたという理由でだ。日本は公布2年後の1937年に日中戦争を、1941年には太平洋戦争を起こした。

儀礼準則を通じて植民朝鮮人の窮乏生活を改善しようというのではなく節約した物資を国防金(物品)として献納させようという狙いがあったというのが、チェ教授の説明だ。

1938年11月28日に慶尚北道金泉(キムチョン)の商店街で準則に基いて儀礼をした後、節約した現金を大邱(テグ)神社に献納した人物を知らせる内容の記事が日刊新聞に掲載された。

チェ教授は14日、中央日報との電話で「罪人を形象化する麻の寿衣を普遍化し、植民地朝鮮人の精神を疲弊化させた」とし「農家の副業として奨励し、収益金の一部を国防金として献納させた『むしろ編み』のように、麻の寿衣の拡散で得た余剰資産や物資を収奪したりもした。植民政策の一環と解釈できる」と述べた。

一方、檀国大は昨年伝統寿衣展示会を開くなど復元事業に取り組んでいる。

http://japanese.joins.com/article/325/232325.html

no title

チェ・ヨンウ教授が復元した伝統寿衣の前で日本が麻の寿衣をどのように植民地の朝鮮に広めたかなどを説明している。(写真=檀国大)

引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1502762160/

続きを読む
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:



記事検索
カテゴリ別アーカイブ
月別アーカイブ
メール

笑韓ブログ ◆loMxv6YsrNO8
当ブログについてはこちら
笑韓ブログについて


連絡先:wara2ch(at)gmail.comまでよろしくお願いします!!
(at)は@に変えてください


全ランキング