歴史

【韓国教授】「隋の高句麗侵略…中国の教科書は内戦と記述」「韓国は歴史的に中国の一部」

1: 昆虫図鑑 ★ : 2021/03/07(日) 08:18:35.47 _USER
徐吉洙・元西江大学教授
「東北工程の後、歴史侵奪が続いている…中国は今や『固め作業』に入った」

「最近持ち上がった『韓服工程』や『キムチ工程』は、中国の韓国歴史侵奪を既成事実化する過程で生じたものだ。韓国人が黙っていればいるほど、歴史侵奪は強固になり、覇権主義の逆襲を受けることになるだろう」

 中国が、韓国古代史を自国史の一部として歪曲(わいきょく)した東北工程(2002-08)の後も歴史侵奪を続け、現在は韓国史全体を侵奪する状況に至った-という研究結果が出た。徐吉洙(ソ・ギルス)高句麗・高麗研究所理事長(元西江大学教授)は1日、オンライン発表予定の「東北工程侵奪報告」の原稿でこのように明かした。

 中国の東北工程は、2004年8月に「政治問題化することを防止したい」などからなる韓中両国の5項目口頭了解が行われた後、水面下に隠れた。しかし中国共産党吉林省委員会宣伝部などを中心に東北工程の作業は継続され、07年1月まで5年間の計画だった東北工程を2年延長して08年末まで強行したという。

 こうして歴史侵奪を終えた中国は「固め作業」に入り、吉林省社会科学院が発行した学術誌『東北史志』を通して2016年まで歴史歪曲を続けた。その結果、古朝鮮・高句麗・夫余・渤海は「中国史の一部」にすり替わり、新羅・高麗・朝鮮王朝の歴史は「中国の半属国」に格下げされた、と徐教授は指摘した。

その結果、世界の中国語ユーザーの80%が使うポータルサイト「百度」の百度百科に、この歪曲内容がそのまま反映されたという。百度百科の「古朝鮮」の項目には「文化はもちろん血縁の属性のような全てが、こんにちの大韓民国や朝鮮の歴史に属さない中国古代の地方政権」と記され、「高句麗」の項目では「中国の中央王朝の地方行政組織の特性を有した」「主権を持った独立国家ではなかった」として、中国史の一部だという東北工程の論理をそのまま反映した。2017年4月に米国のドナルド・トランプ大統領が伝えた「韓国は歴史的に中国の一部」という習近平国家主席の発言は、こうした背景から出てきたものだと徐教授は主張した。

 徐教授は「『最後のとりで』と考えられていた中国の歴史教科書すら、最近では歪曲の動きが見えている」と語った。かつて『初級中学課本 中国歴史』では「隋の煬帝は絶えず隣国(高句麗)を攻撃した」と書いていた。しかし2016年の『中国歴史』教科書では、高句麗という国名すら示さず「隋の煬帝が遼東を3回討った」と書き、隋と高句麗の戦争が中国と外国の戦争ではなくまるで中国の内戦であるかのように記述したという。徐教授は「こうした中国の覇権主義歴史侵奪はアジアと世界の平和に逆行するもの」と語った。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2021/03/05/2021030580005.html

引用元: http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1615072715/

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【中央日報コラム】日本の韓蔑視、1300年続く傲慢と偏見…「朝鮮は我々の臣下」

1: 昆虫図鑑 ★ : 2021/01/29(金) 13:32:27.00 _USER
753年(新羅景徳王12年)1月1日、唐の蓬莱宮では新年を祝う儀式が挙行された。ところが式場に出席した新羅の使臣と日本の使臣の間で争いが生じた。どちらが序列が高い位置に立つかをめぐってだ。当初、唐の朝廷は西班の序列1位に吐蕃の使臣、2位に日本の使臣、東班の序列1位に新羅の使臣、2位に大食国の使臣を配置した。ところが日本の使臣の大伴古麻呂は「新羅は昔から日本に朝貢する国だが、日本の使臣より上の位置に立つのは受け入れられない」と唐の官吏らに抗議した。唐の朝廷の責任者、呉懐実はあたふたと日本の使臣と新羅の使臣の位置を入れ替えた。唐の朝廷から誰がより高く待遇されるかをめぐり新羅と日本の使臣が争ったことを「争長事件」と呼ぶ。

争長事件で注目されるのは日本の使臣が新羅を自分たちの朝貢国と規定した事実だ。いわば、日本は「皇帝国」であり、新羅は皇帝に頭を下げる「蕃国」ということだ。このように自国を高めて新羅を見下げる意識は『日本書紀』を通じて公式化された。『日本書紀』仲哀天皇9年条には「仲哀天皇が死去しての神功皇后が新羅征伐に動くと、新羅の王が日本を神国、日本の王を天皇、日本の兵士を神兵と呼んで降伏した後、永遠に朝貢することを誓った」という説話がある。新羅の王の口を借りて日本を持ち上げるこの内容は、今日では日本の史学者も明白に伝説だと評価するが、以後の韓日関連史に及ぼした影響は非常に大きく深刻だった。日本人が韓半島(朝鮮半島)を蔑視する認識の出発点になったからだ。

(略)

古代から日本が神国、天皇の国を自負したのは、中国とは対等であり、韓半島より一等級上の国であることを示すためだった。さらに壬辰倭乱以降、日本は自国を「武威の国」と、朝鮮を「武備がない虚弱な国」と規定した。半面、朝鮮は自分たちが中国と最も親しく、中国に次ぐ文明国という事実を日本に対する優越意識の根拠として前に出した。日本は朝鮮を「中国の虚弱な属国」と見なした一方、朝鮮は日本を「中華文明を知らない野蛮国」と罵倒した。

このようにお互いを眺める根源的な内心は違ったが、壬辰倭乱後の200年余り、朝鮮と日本は平和な関係を維持した。しかし19世紀以降、西欧列強の軍事的脅威に危機感を強めた日本の知識人はまた天皇を呼ぶことになった。代表的な人物が吉田松陰(1830-59)だ。吉田松陰はロシアとの貿易で失ったものを朝鮮と中国を征服して埋めなければいけないと主張した。吉田松陰は「天皇が治めた古代は韓半島が日本に朝貢したが、その後は傲慢だった」とし、神功皇后と豊臣秀吉の偉業を継承して朝鮮を占領すべきだと強調した。朝鮮を征服して天皇にひざまずかせることこそが本来の国体を回復する道だと力説した。いわゆる征韓論を露骨に表したのだ。

吉田松陰は夭折したが、征韓論は弟子の伊藤博文(1841-1909)らによって行動に移された。韓半島侵略の象徴的な人物である伊藤博文は自らを豊臣秀吉の生まれ変わりと考えた。伊藤らが韓国を侵略して保護国にし、最終的には植民地として奪取する過程は、過去に神功皇后や豊臣秀吉が掲げた「神国の偉業」を実現したということだ。

実際、1910年8月29日、明治天皇は「東洋の平和と帝国日本の安全を保障するために韓国を日本帝国の保護の下に置く」という内容で、いわゆる併合詔書を出した。そして同日、朝鮮の純宗を昌徳宮(チャンドックン)李王、高宗を徳寿宮(トクスグン)李太王とする詔書も出した。8世紀以降、自らを神国・皇国と称して韓半島に皇帝として振る舞うことを望んだ「千年の願い」が実現する瞬間だった。

同年11月、韓国を強制的に併呑したことを記念するために発行された雑誌『歴史地理朝鮮号』の編集者は、感激のあまり発刊の辞を書いた。「韓国併合は古代以来の日本の歴史的懸案が解決されたもの」ということだ。

こうした歴史を振り返ると、解放以降、韓国人が日本の国王を天皇と呼ぶのは簡単でなかった。韓国政府が1998年から外交的には「天皇」を公式用語といて使っているが、内部では「日王」と呼ぶべきだという主張が少なくない。先日、新任駐日大使が日本に赴任した直後「天皇陛下」という呼称を使ったことをめぐり、また論争が生じている。天皇をめぐる葛藤が1000年以上累積してきた韓日間の特別な歴史と、日本との友好を維持すべき最近の現実の間で、果たしてどこに重心を置くべきなのだろうか。

ハン・ミョンギ/明知大史学科教授

https://japanese.joins.com/JArticle/274987

引用元: http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1611894747/

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【韓国】 独立記念館、中国と共に日帝と戦った資料集め『韓中共同抗戦記念館』作る~中国人など外国人客を誘致する計画

1: 蚯蚓φ ★ : 2021/01/26(火) 13:22:34.75 _USER
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25日、ハン・シジュン新任独立記念館館長が忠南天安市独立記念館民族の家の前で就任の抱負を発表している(左側写真)。ハン館長はカイロ会談を控えた1943年7月、白凡と蒋介石(右側写真、左側から)の会合事実を明らかにするなど日帝に対抗した韓中の共同抗戦の史実研究で大きな成果を上げた。天安=キム・ドンジュ記者・東亜日報DB

報勲処傘下独立記念館長に独立闘士子孫のうち名望家が任命されてきた要人慣行を破って独立運動史を研究した正統学者が初めて任命された。これに伴い、来年、韓中修交30周年をむかえて独立記念館の中に『韓中共同抗戦記念館』を新設する方案が推進される。

独立記念館はハン・シジュン檀国(タングク)大史学科名誉教授(67)が12代館長に就任したと25日明らかにした。任期は3年だ。ハン新任館長は大韓民国臨時政府と韓国光復軍研究で最高権威者と評価されている。彼が1993年発表した学術書「韓国光復軍研究」は国内学界で初めて光復軍出身生存者インタビューと未発掘資料を集大成して光復軍の歴史的実体を明らかにした力作に選ばれる。

韓中修交がなされる前の1991年中国重慶・上海・西安などを20日間現地調査して忘れられた光復軍の痕跡を追った。光復軍が国内進攻作戦のために米国OSS(CIAの前身)と軍事訓練を行った中国西安内の場所を明らかにしたのも彼の研究成果だ。

ハン館長は就任を控えて京畿龍仁市(ヨンインシ)檀国大で行った東亜日報とのインタビューで「韓中修交30周年を控えて記念館内展示館8つのうち1つを『韓中共同抗戦記念館』にする方案を推進する」と明らかにした。

韓国の独立を保証した1943年カイロ会談に先立ち白凡キム・グ(金九)と蒋介石が会合した内容など日帝に対抗して韓中が共同で闘争した歴史記録に光を当てるという。韓中友好関係の歴史的根拠を提示する一方、中国人をはじめとする外国人観客を記念館に誘致する布石だ。

ただし対日関係などに負担になる可能性を勘案して米国OSSの光復軍支援内容などを追加し『国際館』として運営する方案も検討中だと付け加えた。

日帝強制占領期、韓中共同抗戦の史実はハン館長の長い間の研究分野だ。彼が2014年に発表した論文「カイロ宣言と大韓民国臨時政府」によれば米国、英国などが対日戦争勝利後の韓半島を共同管理対象にしようとする動きを見せるとすぐに1943年5月、臨時政府はこれに反発して中国、重慶で「在中自由韓国人大会」を開いた。シン・イクヒ、チョ・ソアンなど臨時政府関係者たちは孫文の息子・孫科など国民党の核心人物に会って即時独立を求めた。

ハン館長は当時、国民党政府の会議日誌を入手してカイロ会談を控えた1943年7月26日、白凡が蒋介石と会って韓国独立が会談で扱われるよう要請した事実を明らかにした。その後、蒋介石はルーズベルト米国大統領との会談で韓国独立を貫徹し、同年11月のカイロ会談で韓国独立文面が宣言文に含まれた。

ハン館長は「第二次世界大戦が終わる前に独立が保証された国は大韓民国が唯一だ。『タマゴで石打ち』(訳注:通常は「不可能で無駄なこと」の例えだが、ここでは「不可能を可能にした」という意味か)の様に日本から独立を勝ち取った不屈の精神を海外に知らせたい」と明らかにした。

一方ムン・ジェイン政府が2019年、臨時政府樹立記念日を1919年4月13日から11日に正したのもハン館長の研究成果に力づけられたものだ。ハン館長は1945年、臨時議政院会議録などを発掘して臨時政府樹立日が4月11日という事実を知った。既存の4月13日は日本警察の内部文書に書かれた不正確な内容を根拠としたものだった。ハン館長は建国節論議当時光復後、政府樹立日を建国節に定めることは正しくなくて臨時政府法の正統でなければならないという歴史学界の主張を代表した。

キム・サンウン記者

ソース:東亜日報(韓国語)[単独]独立記念館に日帝相対して戦った韓中歴史観作る
https://www.donga.com/news/Society/article/all/20210126/105108053/1

引用元: http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1611634954/

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【韓流】 五千年の歴史で初めて韓国の時代が到来した。それを誇らしいと言うと「グクポン(愛国中毒)」なのか

1: 蚯蚓φ ★ : 2021/01/20(水) 23:07:50.00 _USER
生きていると本当に変な言葉を聞く。「グクポン(国+ヒロポン=愛国中毒)」とは。私たちの文化や製品を世界的だと自慢する傾向や作品をさげすんで言う言葉だ。もちろん以前にはない言葉だ。各種メディアには以前にない言葉が以前にある言葉より多く使われるほど私たちの言語生活は破綻状況に置かれている。

とにかくグクポンという言葉は略語ではなく新造語と言えるが、一言で私たちのものをめぐる現象を自ら皮肉る言葉だ。私は昨今の私たちの社会の言語生活に不満が強い。このような価値を歪曲する言葉が通用するのははなはだ不適切だ。大衆は時流にのってむやみにそういう言葉を口にするが、主要メディアが先に立って使うのはまったく見苦しい。

5千年の歴史で韓国が一度でも世界に存在感を表わしたことがあったか。6.25動乱戦争(朝鮮戦争)が起きた時、助けにきた米軍兵士の大部分は韓国がどこにあるのかさえ知らずにきた。わずか70年前に廃虚になった国がこれまで先祖が血の汗を流して世界10大貿易大国にし、全世界に韓流の風を起こして韓国の地位が非常に高くなった状態だ。

世界の若者たちが韓国という言葉を聞くだけで歓呼する。想像さえできなかった夢が現実に起きている。見ても信じられないほど韓国はグローバル先頭隊列国家になった。Kポップ、Kフード、前にKの字さえ付ければ世界に通じる。

一時、西欧社会にはオリエンタリズムとして中国ブームが起きたし、その後にジャパニズムとして日本ブームが起きたことがある。中国の陶磁器、日本の絵のようなものが西欧文化に大きな風を起こした。

もはやコリアニズムと呼んでも良いほどmade in Koreaすなわち韓国発商品や文化が全世界をさらっている。BTSが歌った歌、ポン・ジュノの映画「パラサイト」、ウェブトゥーン、そして家電製品やラーメン、海苔を問わず韓国製なら名品として優遇される。すごい成就で誇らしい。国内ではあまり実感できないが、海外では私たちが考える以上に韓国の風が吹きつけている。

5千年ぶりに初めて韓国の時代が到来したのだ。

インドの詩聖タゴールは「かつてアジアの黄金時代に/輝く灯の一つであった朝鮮/その灯が再び明かりを照らす日には/あなたは東方の明るい光になるだろう」と日帝下で苦しむ韓国人に激励を惜しまなかった。今日、私たちはタゴールの友情に満ちたメッセージのとおり東方の灯を越えて世界の灯になった。

これがファクトだ。韓国は西欧強国と肩を並べるまでになった。G7に入る門の敷居に立っている。ところで韓国がすごいといえばグクポンだとバカにする。それも他国の人ではなく、我が国の中にそんな人々がいる。

1979年ハーバード大教授エズラ・ボーゲル(Ezra Vogel)は《一等国家日本(邦題:ジャパン・アズ・ナンバー・ワン)》という本を出した。日本の経済的成功を解剖した本だ。もはや、その代わりに《一等国家韓国》と言っても一つもおかしなことではなくなった。誇らしいではないか。その誇らしい、というのが行き過ぎなのか。映画「国際市場」をグクポン映画という人々の心を私はとうてい理解できない。

外国のある人は「韓国人だけが韓国を知らない」と言ったことがある。世界が最高と認める国をその国の人々は自己卑下をご飯食べるようにする。私はそのような人々に訊ねたい。それなら韓国のほかに、世界のどの国に行って住みたいのか。実際にそのような質問には返事を返せずごまかす。

今、韓国は世界で二番目に暮らしやすい国だ。一番目はどこの国か?一番目の国はまだあるかないか分からない。愛国、国自慢をグクポンというとは。愛国歌もグクポンというかと思って恐ろしい。グクポン、私はこれが良い。

ソース:市民の声(韓国語)グクポン
http://www.siminsori.com/news/articleView.html?idxno=224874

関連スレ:【韓流】 世界覇権の鍵『文化の力』~安全な国、便利な国、発達した国そして親切な国・韓国に世界が注目[01/20] [蚯蚓φ★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1611130713/

引用元: http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1611151670/

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【韓国】 韓中日の観光客が春川牛頭山に集まった理由は…清国皇帝・スサノオノミコトの墓

1: 蚯蚓φ ★ : 2021/01/16(土) 20:00:20.40 _USER
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▲春川牛頭山の精気を含んで市内を貫く昭陽江(ソヤンガン)を象徴するため建てられた昭陽江娘像。娘像の後に昭陽江を見下ろすことができる昭陽江スカイウォークとコウライケツギョ像が見える。

「新丑年、丑年の春を迎えるため江原春川市牛頭洞の牛頭山を訪ねた。牛首山とも呼ばれる牛頭山は名前通り牛を象徴する。また、牛頭山所在地である春川は名前に「春」が入っていて新春を迎えるにふさわしい。

このように特定の時点でふさわしい地名を訪れる旅行は私たちの先祖が楽しんだ国土紀行法でもある。朝鮮の知識層は先代の遺跡、神秘な気勢が立ちこめる吉地などを探して見て回り、外敵から神聖な土地を守る行為を「捜討」と表現した。
(中略:牛頭山の説明)

○中国と日本人観光客、引き寄せるソスル墓

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▲①牛頭山上にあるソスル墓。日中韓の観光客が良い気を体験するお気に入りスポット、ソスル墓の隣に建てられた朝鮮時代の楼・朝陽楼(墓の後)から鑑賞できる。②牛頭山で6・25戦争初期、激しい戦闘を繰り広げ勝利した英雄を称える忠烈塔。ソスル墓の近くに建てられた。

朝鮮後期の文臣イ・ユウォン(李裕元)は清国皇帝の祖先の墓とされるここを踏査後、著書「林下筆記」(1871年)に次のように記録した。

「牛頭山に古い墓が一つあって住民たちは清祖の墓と呼ぶ」としながら住民の言い伝えを紹介した。「墓を掘ってみたところ正黄旗だけ出てきて皆恐れながら土の墓を再び作ろうとしたが一夜のうちに土の墓が自ずから前と同じに湧いてきた。その後、牛や馬が墓を踏みにじっても再び前と同じに湧いてきた。それでこの墓を自ら湧いた山として『自聳山あるいはソスル墓』と呼ぶ。」
(中略)

この場所は日本とも関係がある。朝鮮時代まで中国皇帝の先祖の墓として知られた場所が日帝韓半島侵奪後には日本先祖神の墓に「変身」した。日帝はこの墓が日本の始祖神アマテラスオカミ(天照大神)の弟スサノオノミコト(素残嗚尊)の墓だと強弁した。日本の歴史書である「日本書紀」にスサノオノミコトが新羅(韓半島)のソシモリに降臨したと記録されており、ソシモリは牛の頭、すなわち牛頭山ということだ。

その上、スサノオノミコトは私たちの国祖神・檀君とまで言い張った。そうなれば女神アマテラス大神の国日本は長男になり、我が国は弟ということになる。日本の征韓派はこのような形で韓半島侵略の名分を探そうとし、1930年代には牛頭山古跡化作業を推進した。

ところで牛頭山ソスル墓は墓と見るのも難しい。1940年代に発刊された「江原道史」は、この墓穴を掘ってみると古い瓦が出てきただけで特別なものはなかったと記録した。故・チョン・ジンジェ翰林大教授は過去に天神を祭った祭壇と推論した。天に祭祀を行った場所ということだ。

明らかなことは牛頭山のソスル墓は韓中日三国が注目する神秘で神聖な土地である点だ。そしてそのような土地は絶えず人々を引き寄せる。現在はコロナ19とTHAAD(高高度ミサイル防御体系)配備問題で中国人観光客は目につかないが、それまではこちらに中国人が訪ねてきて祈った名所だった。

日帝強制占領期間には日本の役人たちが春川訪問時に立ち寄って参拝したりした。ドラマ「冬のソナタ」が日本で人気絶頂の時、我が国を訪れた日本人観光客がこちらに立ち寄ってお辞儀したという。国際的象徴性を備えたこちらで新年の誓いと願いを祈ってみるのも格別な意味があるだろう。

牛頭山は6・25韓国動乱(朝鮮戦争)初期戦線で味方の勝戦ニュースを出した所としても有名だ。国軍と連合軍がここで南下する北朝鮮軍を阻止するために激しい戦闘を行い、その時を賛える忠烈塔をソスル墓の近所にたてた。冬の寒さを押し切って国のために命を捧げた人々を追悼するために忠烈塔を訪ねる人々も目についた。
(後略:風水的にみた昭陽江)

文・写真春川=アン・ヨンベ記者・風水学博士

ソース:東亜日報(韓国語)韓中日観光客が春川(チュンチョン)牛頭山に集まった理由は…
https://www.donga.com/news/Culture/article/all/20210116/104946274/1

引用元: http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1610794820/

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